今日のオリジナル番組


詳細を確認
タブーに切り込め!ここがおかしい「日本の保険」
本日配信
286Picks
Pick に失敗しました

人気 Picker
ギターはアートであり夢。ギブソンは夢の象徴であり、エピフォンは夢へのステップ。
こちらのCEOが仰る様にギブソンの様な高級ギターが富豪の為のものであり一本の売却益の高さが、ブランド力の維持であるなら寂し話だ。

ギタリストがプロになる過程で、矢張り良い音を追求し、その行き着く先が、昔は本物の職人が作るフェンダーやギブソンを手にする憧れであり、借金、貯金してでも其れを手にする為に買った筈だ。この経営者の話には其処の最も大事な顧客現場のミュージシャン、ギタリストの話が抜け落ちてある。
実を言うとレコーディングにしてもライブにしても良い音だけ追求するなら所謂楽器自体の良し悪しはあまり関係無い時代に突入している。

そう、クラウドの技術がミュージシャンの世界にも浸透している。
例えばケンパーhttp://www.korg-kid.com/kemper/
というプロファイリングされたデータをクラウドの中から自由に選べる
軽量なラックとパワーアンプのシステムで、誰でも世界の有名エンジニアがチューンした真空管アンプの音や例えば60年代のビートルズの本物ボックスアンプでのリッケンバッカーの音や其れこそオールドの何千万円もするギブソンの音などをメサブギやオレンジでカキ鳴らすなど世界最高の古今東西の音を手軽に手に入れれる。

所謂音だけならもう、現場はかなり進化している訳だ。
虎目の模様だけを気にするコレクターの展示物としてギブソンが生き残るなら其れもありだろうがこのCEOのお話にはあまり音楽愛を感じ無い。
元アマチュアミュージシャン(元がポイント)としてギターは心の友なのですが、ギブソンがこういう話になっているのはとても残念です。そして子会社のティアックは実は私が最初に就職した会社でもあります(元ダメダメ・エンジニアでした:汗)。私が在籍していた時は恐らく最高の業績でイケイケだったと思いますが、今はかなり厳しそうですね。2つとも寂しい話題。。。
先日下記Pickで話題になったギターの名門、ギブソンの経営危機についての記事。
火のないところに煙は立たない。読んでいて思ったのは、好調さをアピールする割に、具体的な数値での議論がない点。経営難の要因である買収資金などの話も、さも想定済みだったかのように話しているが、リスク判断を誤ったということ(リスクシナリオだったとしても顕在化してしまっているのだから)。良い経営とは感じられなかった。
https://newspicks.com/news/2833015
レスポールとJ35を愛用しています。

他のギターにはない、独特の低音がとても魅力的です。

守るべきところは守り、攻めるべきところは攻める、ギブソンにはそんな経営して欲しい。
"だがギターが売れなくなるなんて事態は起きなかった。ギタービジネスは本当にうまくいった。ギターは死ななかったんだ。実際、本当によく売れた。"
80,90年代、ギターがキーボードに喰われなかった理由の1つにギターの音がどうしても出せなかった、という理由があると思います。ベースもドラムも打ち込めるが、ピアノとギターだけはどうしても難しい。
ただ良いものを作り続けるという事も大変なのに、こういった老舗メーカーはこれから岐路に立たされていくのかな。次の世代に向けたブランド体験価値を改めて定義しないとキツくなってきているのかもしれない。
インタビュアーがTwisted SisterのJay Jay French氏というのが記事の中で一番気になってしまった。。。

Twisted Sister懐かしいと思って、Wiki見てみたら、もうみんな還暦を過ぎているのですね。まあもうそうなるか。
この先どれだけ電子音楽が進化してもギターの時代が終わることはない。なぜなら、人間がたかだか10本の指を使って自分の手で最も複雑な音楽を奏でることのできる楽器がギターだからです。ギブソンはギターの二大巨頭。
よく語られる話だが、ギターは最も不完全な楽器であるという話。対して似たような構造であるにも拘らずバイオリンは最も完成された楽器と言われる。その違いは何か。それは楽器の構造的あるいは歴史的な違いとは別に、楽器が用いられる音楽=文化の違いに因るものが大きい。

バイオリンは数百年の音楽史を体現するものであり、歴史的に見てもバイオリンによってどのように演奏されるべきか、あるいはバイオリンによってどんな音楽が演奏可能か、といった音楽の存在論とともに在った楽器だからこそ、音楽の歴史と切り話して考える事が難しいからこそ変化を内在的な理由によって拒絶するし、それ自体が音楽の原点になる。

一方でギターという楽器は、発祥の歴史から考えても常に刹那的な文化の上に立脚してきた楽器だ。そうした音楽というのは言葉の延長で紡がれてくるものであって楽器の存在を前提として発露する音楽とは成り立ちが根本的に違う。また現代の音楽におけるギターの役割はマスプロダクツとして大量消費されるエンターテインメントの発信器としての役割が大きかった。何れにせよギターという楽器はその成り立ちや背負う文化によって常に消費財として食いつぶされていく運命にある。