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官僚OBは改ざんなんて聞いたこともないし、まずありえない、と指摘してきた。しかし現実にはこのようにボロボロと出てきている。こういった慣習はいつから、どのような形で行われてきたのか。森友学園の問題だけなのか。公的な手続きの前提を覆す話であり、検察でもなんでもいいから第三者機関に徹底的に調査してもらいたい。
トリッキーな話だ。話が混乱するので2つのことを分けて考える方がいいのではないか。1つは、昨年2月~4月に行われた改竄で、これは「私や妻が関与していたら首相をやめる」という2月の首相答弁との関係が疑われる事案。もう1つは今回のものも含めてもともと財務省には末端まで隠ぺい体質が浸透しているのではないかという疑い。後者の線だけで議論を進めてしまうと財務省の体質という問題に矮小化される。それはそれで大問題で、あってはならないことであり、問題点の洗い出しと今後の対応策の策定は必須であるけれど、そればかりに目を奪われず、今は前者の疑いに集中して解明した方がいいように思う。
【政治】財務省の文書書き換え問題を見ていて思い出したのは、ジョージ・オーウェルの『1984年』に出てくる「真理省」。頻繁に歴史資料が改ざんされるため、もはや何が事実であったか誰にも分からなくなってしまっている。財務省がやった文書書き換えというのは、つまり後世の歴史家が公文書を読んでも決して事実を書くことができなくなるということにつながり、それは後世の人々が「何が事実であったのか?」を正確に知ることができなくなるということ。

追記:
「朝日新聞は日本人の敵」とまでコメントしていた人が物の見事に「官僚は日本人の敵」という姿勢にシフトしていて嗤えるな。事あるごとに「〜省は廃止」とか「東京都は廃止」とかコメントしてるけど、そこまでいうならば行政サービスの享受を全て拒否するか、日本以外の政府の関与が少ない国に移住されてはどうだろうか?
それは、メモを抜き取るという小さな「改ざん」から始まったのかも知れません。なかなか示唆に富んでいます。そして、小さな「改ざん」は、本格的な「改ざん」につながり、ひとつの「改ざん」は、辻褄を合わせなければならない多くの「改ざん」を招いてしまったわけです。それでも「改ざん」しきれず、国交省や会計検査院には気づかれていました。最後は検察がすべてを見破ったわけです。ウソをつき通すことはいかに大変か。しかし、朝日の報道がなかったら、霞ヶ関の外には漏れず、ウソをつき通せたのかも知れないと思うと恐ろしくなります。
アドラー心理学の中心となる考え方に「全ての感情や行動はある目的を達成するために生み出される」という目的論というものがあります。

とある計画や団体への気持ちが強ければ強いほど、目的以外のことは思考停止になり何があってもその計画や団体を正当化するのも目的論という考えに落とし込めば納得がいきます。

目的のためなら、誰しも都合の悪い情報は隠したくなるのもひとつの心情。

また、誰しも「管理したがる」けど「管理されたくない」というのもまたひとつの心情。

でも、やはり人間社会である以上はある程度の理性が求められます。

たかがひとつの学校案件から始まったこの問題。

されど改竄の常態化が行われているのであればそれは大問題。

確かに安全保障や経済政策などのもっと大事な案件があるだろうと思うところもありますが、かといってこの問題を無視するわけにもいきません。

例えば、スノーデンリークでのひとつの教訓は「不当な監視の抑制は監視」でした。

一応の民主主義国家としては、こうやって声を上げて問題提起していくことが大事なのでしょう。

NHKは該当文書全文を出したり、また「ヒト」ではなく「コト」を追求する姿勢が感じられ、良い仕事をしていると思います。

私は政治素人なので見当違いの意見であれば申し訳ありませんが、恐らくアリストテレスが言うところの「中庸」な対応や考え方が求められるのかもしれません。
独立した第三者の手による調査・原因の究明と防止策の策定をお願いしたい。
一体、何種類あるのか?

忖度文書1.0から忖度文書1.1、忖度文書2.0とか、あって、これは、丸秘、これは、国会用、これは他省庁用、これは監査用とか。。。
フラッシュメモリは、EEPROM(電子的買換え可能)だが、文書は、ROMでないと、せいぜい、PROM。
こういう一件があると、改ざん防止策がさらに厳重にとられて、公的文書の作成および承認に、より労力がかかるようになる。
無駄が増える。
労力と正当性とのバランスがあり、ある程度は性善説というか信頼性のなかでやっていたことが崩れていく。

それゆえ、どのようなプロセスで改ざんが行われたのかは徹底的に精査する必要がある。

改ざんできないシステムはもちろんあればいいけども、信頼関係の構築できない社会は、居心地が悪いと個人的には感じる。
国会の軽視は国民の軽視。

話はそれますが、情報公開制度をよく利用していましたが、行政の作った文書を行政の判断で開示範囲を決めたり、黒塗りにしたり、場合によっては不存在としたり。。。。
この仕組みになんの客観性があるんだろうと感じていました。
(そんなこといったら、情報公開制度そのものが無意味なものになってしまうから、そうは言いたくないのですが)

行政側に主導権があるものを開示する際に、どう客観性を担保していくのか、が今後の議論になると良いなと思います。
日本のブロックチェーン界隈はフィンテックに染まっていて、ブロックチェーンで改ざん防止、みたいな世界に通用する本気の提案が出てくる気がしない。世界に通用しないテックベンチャーなんて、水たまりを見てブルーオーシャンっていってるようなもんだよ。