高城剛はなぜ「次世代の瞑想」に注目するのか
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NP毎日見る程暇ではないので全然見てないけどタレコミがあったので久々に。
もう政治や経済の事をまともに語る所ではないと思っているので、こういう事だけだな。
こういうのはキチンとした体系があるので、それを踏まえずにつまみ食いでやるというのは危ないだけ。
それも薬物摂取の上でなど。
心と身体を捉えるというのは大切だが、それを個人の枠の中でやると却ってバランスを崩す。
仏教の密教などで大慈悲心とかを言うのは単なる精神論ではない。
世界そのものの普遍的あり方との繋がりを捉える為の道筋としてそれが必要だから。
私がキチンとした神社などで、しかもそこに通ってあるのと直にというのを推奨するのは、それの方が安全性が高いから。
宗教の開祖レベルは皆、直に世界そのものと向かいそして自ら自身そのものでそれぞれ世界の普遍のあり方を捉えて。
薬物に拠ってなどという者などいない。
確かに非認知領域の最初の入り口の禅で言う見性体験は、白隠が自身の体験を語っているように強烈なもので、脳的には脳内物質がドバドバ出ているだろうか。
それは入り口にしか過ぎないしその体験自体は本質ではない。
だから白隠も穴グラ禅坊主と叩きのめされた訳で。
そこからホントの心そのものの普遍を捉えそれに拠り身体を修めるまでは階梯がある。
それはこんな方法で成されるものではない。
密教の修法の前提は世界そのものの普遍を真ん中に通し置いてこそ。
それを個人で保つというのは、まあ普通は個人の力では難しいよ。
だからこそ法然は個々のあり方を見て取る阿弥陀を通してしか成仏は出来ないとイイ、そして親鸞は阿弥陀の絶対性に拠る事を言った訳で。
自分という枠を前提に、こんなことをやれば危ないだけ。
本当に世界の普遍そのものが自ら自身に通ってあるという前提に拠らないと。
その上で密教だと金剛頂として瑜伽(ヨガ)の修法を示すが。
普遍性の不壊を以て金剛(ダイヤモンド)に例える。
それの通りと向かいがなくヨガ的修法というのは、心と身体を普遍的筋道に則ってではなく、コントロールを失い、また危うきと感応してしまう可能性が高い。
こういう自分の中に埋没する様なあり方で、ヨガ的方法を行うべきではない。
実際の心と身体での体感は大切だけど、だからこそそれはキチンとした普遍的あり方に於いてであるべき。
完全版
http://bit.ly/2HMUGue
注目のコメント
これは体験しないとわからないでしょうから、ぜひ体験してみたいです。頭だけではなく体を通してでしかわからないことがたくさんあると感じます。
書きたいことはたくさんあるのですが、呼吸の大切さについて補足します。
「人間が唯一、自律神経をコントロールできる手段が呼吸です」とありますが、本当にその通りです。
人間の体には、自分の意思で動かせる随意筋(例えば手を上げようと思うと上がる)と、意思では動かせない不随意筋(例えば心臓の動く速さを変えようとしても変えられない)があり、不随意筋は主に自律神経が司っています。よって自律神経は基本的に自分の意思でコントロールできません。
自律神経とストレスの関係ですが、脳がストレスを感じると本当的に戦うor逃げるという防衛反応が出て、心拍数が上がったり呼吸が早くなったりします。この体の反応を脳が察知して、さらにストレスを認知します。この状態が恒常的に続くと、フィジカルとメンタルの不調を招きます。
体の防衛反応は自律神経に司られるので基本的にコントロールできないのですが、唯一自分の意思でコントロールできるのが呼吸(つまり横隔膜という筋肉の動き)です。体が防衛反応を出しているときでも、意識的に呼吸を深めると、脳が防衛しなくてもいいんだと認知してストレス反応のバットサイクルを自分の意思で断つことができる可能性があります。
だから呼吸はとても大切なんですね。次世代の瞑想である"Sound Meditation"
デポルターレクラブでは、トップアスリートのリカバリーやゾーン状態へのプラクティスとして取り入れています。
決して難しいものでも、怪しいものでもないので、お気軽にお問い合わせ下さい。当日は運営担当を務めました。写真だけ見るといろんな印象を持たれる方が多いと思いますが(笑)、体験された方からは口々に「これはすごかった」という感想を聞きました。
私も事前に体験したところ、確かにリラックスと覚醒が同時に来る新感覚が味わえました。第2回の開催は未定ですが、今後もこうした体験系のイベントを開催していきたいと思います。