『君たちはどう生きるか」40歳おじさんはどう読んだらストンとくる? 歌舞伎町ホストの答えとは…
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注目のコメント
「君たちはどう生きるか」は漫画も、原本も、とてもいい本だと思います。
主人公のコペル君が精神的に成長していく姿も心地よいです。
でも、大人になると、こうしたコペル君のような中学生的な「悩み」や「葛藤」は、どこかウジウジしているようにみえるというか、理想主義的に感じてしまうのも確か。
それは「この本って、理屈っぽいよね」という批判で片付けるにはもったいない(漫画版は羽賀さんの見事な力で、理屈っぽさがなく、爽やかな読後感があります)。
コペル君のように、「真面目に」悩むことで、実は大事なことを見過ごしているのではないか。経営者でもあるカリスマホストの手塚マキさんが見事に読み解いてくれました。
これこそ「大人の読み」だと感じました。いじめやもめごとの渦中にいるときに、しばしば生きることが辛いと思ったことがあります。その時は「君たちはどう生きるか」ではなく、「それでもなぜ生きなければいけないのか?」の答えを探していた。そのような苦しい時期があったが、振り返ってみれば痛みを理解する、少数者の意見に耳を傾けるなど成長の機会だった。生きることは大変だ。だけど面白い。
私がこの漫画を読みたくない理由がなんとなくこの記事にある気がした。
ウジウジしたことをおっさんが読んで良い本だったとかいうのもダサいが、それよりも下記の部分
「漫画版にはないのですが、原作の小説では、ガッチンをいじめていた上級生たちはその後、先生たちに懲らしめられます。有力者であるガッチンの父親が学校に抗議したからです。上級生たちは親の力に頼れない分、かわいそうですよね(笑)。つまり、弱者と強者が入れ替わります。コペル君が悩んでいる間に、もめごとの構図が移り変わっていく。」
漫画版にないのはなぜなのでしょう?おそらくこの場面を入れてしまうと話がキレイでなくなってしまうからでしょう。漫画を売るためにやったことでしょうがこういうのが好きではない。
「白黒はっきりしないグラデーションの中で、社会が回っていくことの尊さも忘れないでほしい、そう思います。」
上記の部分はこういうのを読んですぐに感動してしまう人に一番欠如している部分だと思う。
とても面白い記事でした。