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オーストリア人神主、神道を語る──受け入れ、アレンジしながら、何千年も受け継いできた日本人の知恵

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  • zetumu

    ついでに久々に見てたら良い記事。

    神道は文字通り神の道。
    人道ではない。
    世界の普遍とそれを成り立たせる主体の筋道。
    神社はそれがローカルな土地に通ってある所。
    勿論普遍だから、当然全てに通ってはいるのだけど、元々。
    只本当の筋道そのものとズレずにあるかどうかということ。
    神は常に自ら自身を禊ぎ祓いして、それを通し成す。
    それをローカルな土地に於いても通し成す。

    よく神社で参道の真ん中は神の通り道だから通らない様にとか言うけど。
    それは筋道としてある神を真ん中に置いてという事をわかり易く示すものとして言うと思う。

    神道ではないが、中国の古典の中庸に堯が舜に伝えた言葉がある。
     「允(まこと)に厥(そ)の中(ちゅう)を執れ(とれ)」
    これが神道の本質だと思う。
    真ん中に常に本当の筋道を通し成す。

    只、そこから下り更に舜が禹に伝えた言葉では、これに更に加わり。
     「人心惟れ危うし 道心惟れ微なり。惟れ精惟れ一」
    が前に付く。
    真ん中に通すだけでは伝わらなくなった、人心が出て来て。
    だからこそ畏こむ。

    本当は参道の真ん中を歩けるだけ、自ら自身の真ん中に通してあるべき。
    だがそうあることが難しくなったから畏こむ。

    ホントはゴータマが言った八正道も儒教の非礼見ざる聞かざる言わざるも同じこと。
    本当の筋道そのものを捉えてある様にと。
    それを常に通し成せてあるのが神道。

    神社で真っ直ぐ直にというのは、それを世界そのものから自ら自身に通ってあることをということ。
    自分が中心で、それに何かプラスを貰うということではない。
    太極をこそ取り、そして形としてある陰陽プラスマイナスをそれにより紡いで行く。
    形として示すのはその為。
    無形有形。

    ホントに普遍の筋道道理に於いて全てはある。
    それを常にというのが神道。
    そしてそれに向かう場が神社。

    因みに、私は宗教は2つの側面があって。
    開祖レベルの世界そのものと向かい普遍の筋道を自ら自身で捉えと。
    人間コミュとしてのもの。
    メンバーシップ型は後者。
    共同体主義は神道そのものとは違う。
    さて、日本は本当の神道としてあるかな?。


注目のコメント

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    Plug and Play Japan | スタートアップエコシステム協会 執行役員 CMO | 代表理事

    歴史を知ることはとても大事だ、と最近痛感しています。当たり前と思っていることは実は最近始まったことだったり、すこし意図が違って伝わっていたり。日本人は特定の宗教をもたない、と言われてきましたがそうだったりそうでなかったりするんですね。門戸が常に開かれている、という解釈がとても素敵だと思いました。


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    株式会社ロケットスター 取締役 共同創業者

    "もともと、日本に「宗教」という概念はなく、この言葉も明治時代に英語のreligionから作られたものと聞いております。religionという言葉の定義はメンバーシップのようなものです。"
    同感ですね。無宗教というより、宗教という概念がない。この説明が1番腹落ちしました。神道と仏教を宗教派閥で分けた明治時代の間違い。外国人にうまく英語など外国語で説明できなかったので、無理やりあてはめたのでしょう。そうしたらどんどん矛盾が出てきた、と。


  • former Community Manager at NewsPicks Inc. CMX Connect TOKYO代表

    今夜この記事が読めてよかった。鳥居の形の意味、多様性をしなやかに受け入れて、糧にしながらバージョンアップしてきた「コンビニの数ほどある神社」たち。身近なのに知らないことばかりで、勉強になる記事でした。
    Ishida Reikoさん、妹さんのご結婚おめでとうございます!


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