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「終末期医療の指示書」について意見が割れています。

同じように「尊厳死法」や「胃瘻の是非」についても議論が続いていますね。

 たしかに、ただただ医療的管理をされながら、天井のみを見て生きている寝たきりお爺ちゃんお婆ちゃんのベッドが大部屋にズラッと並んでいるを見ると、医療の意味とは?と考えてしまいます。

 かと言って、高齢だから…〇〇だから…もう一律に治療は控えましょうみたいな世間の空気は、ある意味高齢者は切り捨てるべきという「姥捨山」の文化に逆戻りで、まっとうな人権国家のあり方では無いと思います。

 僕は思います。実はこの議論、その是非を問う前に「そこに医療者との信頼関係があるのか」が問われるべきではないか、と。

 終末期の医療は千差万別です。僕は夕張で100歳の高齢女性に大腿骨頸部骨折の手術を勧めたこともありますし、それとは逆に「老衰」を受け入れる過程を共に歩んだ症例も数多くあります。

 患者さんがどう思っているのか、ご家族がどう感じているのか、それぞれの人が何を一番大事にしているのか、それを医療者をふくめたみんなでしっかり議論して、その上で、「では医療が何を出来るのか?」を医療者は真剣に考える。そんな風にみんなで一緒に悩む、その(医療者から見るとちょっとめんどくさくて全然儲からない)作業を経ることこそが、もっとも大事なプロセスなんじゃないかな、と思っています。


 つまり、「終末期指示書」が良いのか、悪いのかが大事なのではなく、そこに「信頼関係があるのか、ないのか」がだいじなんじゃないかな、と思うのです。
 
 そうした信頼関係がある中であれば、「終末期指示書」は、終末期をどうするかを語りあるための良いツールになれるかもしれませんね。

 こんな「患者さんに寄り添って心を支えるプロセス」こそが「家庭医療」の真髄で、医療者にとっては最期までAIに取って代わられない部分ではないでしょうか。

 あと、こちらの記事にある「もしバナゲーム」も良いツールになると思います。

  ↓↓↓

余命宣告されたら何したい? 最期考える「もしバナゲーム」の縁起でもない話がお年寄りの娯楽に。
http://www.sankei.com/premium/news/171021/prm1710210012-n1.html