神さま仏さまは実在している!ご神仏のメッセージを受け取れる尼僧が教える、見えない存在を実感した、本当にあった不思議な話 - 神さま仏さまがこっそり教えてくれたこと
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こっちの
https://newspicks.com/news/2773791?ref=user_383075
ついでに。
物事は潜在と顕在がある。
人間の意識にも非認知領域と認知領域がある。
当然全ては理として繋がってある。
象意を捉え大きく現実化する前に如何に捉えられるか、そして対応できるかで出て来方は変わる。
もっと言うと理そのものを捉え、そしてその理そのものを扱える様になるともって変わる。
物理世界のことは科学として利用しているのに、それ以外の所の理のあり方を利用しない方がだからそもそもナンセンス。
キチンと理の体系があるよ、あらゆる事には。
それを如何に捉えてあれるかで、自身のことも変わる。
だから筋道のあり方を見ることがあらゆることで大切だということ。
人間の意識に於けることと、実際のこととて当然同じこと。
分ける必要自体が元々ない。
只普通は個我意識を真ん中に置くから、それ中心で見てしまって理中心にみるということができないだけ。
個我意識など別に常に変わるものなのは、誰でも知ってることだけどね。
その上で言うと、それぞれの事がどの様にあるか。
常に理があらゆる事に通じてあることは自明なのだから。
それをどう象として捉え得るか。
易に梅花易占というのがあるけど。
これはありとあらゆることの象意を捉え、それが何を示しているのか見る占法。
まあそれをどういう様にというのはあるけど。
その捉えの通じと力がより通ると、あらゆることから気づきを得られる。
でも中々そこまでは難しいから、易を立てたりおみくじを引いたり。
でもそれ以上に、世界の筋道そのものを自ら通し捉えれば、それそのものとやり取りとしてそういうツールも使える様になる。
結局はだから世界そのものの理を如何に自らそのもので捉え得るかに拠る。
ま、実際そのものはトコトン自らで捉えていかんと分からん。
因みにどこの地蔵でも同じとかいうのは半分正しく半分間違い。
基本のあり方は同じだけど、出て来方はそれぞれ違うので。
でもネットワークがあるので、いつも行く所でここ行くのでと相談すると、見えない所で紹介みたいなことはある。
注目のコメント
私の場合、苦しいとき/困ったときに現れます。
苦しいときの...です。
黙って見ていてくれます。それだけで感謝です。
http://www.ieji.org/archive/footprints-in-the-sand.html