ご神仏のメッセージを受け取れる尼僧が教える、 神さま、仏さまは本当にいる!その証拠となる現象とは、こんなこと! - 神さま仏さまがこっそり教えてくれたこと
コメント
選択しているユーザー
呼ばれた気がしたので。
嘘です笑。
ある方が多分私のこと言ってるよ、とお知らせがあったので笑。
久々に。
あけましておめでとうございます(^.^;。
これを「不思議」と取るから大喜利になる。
逆。
不思議ではなく真実をというのが本当のポイント。
最初にそう書いてるでしょ?。
普通は「意識の持ち方で今までスルーしてたことに目が向く様になったのでしょ」位の捉え方だと思う。
これは半分は正しい。
世界は理に拠って成り立っている。
どんなことでも。
それは物理宇宙だけではなく、全てに於いて。
人間の気持ちや意識も。
理に拠らないものはない。
只、世界そのものは元は何も無い所に成立している。
だから主体性が必要。
私が神は主体性と普遍性と言うのはそういう意味。
主体性は普遍性とセット。
その世界そのものの理視点で見ると、個人の自意識もその周りのことも区分はない。
どちらにも理は通じてある。
それが神視点。
どこか別の所ではなくあらゆる事に全て理は通じてある。
その理そのものの捉えで全てを整えて行けば、全ては自ずから整合していき上手く回る。
逆にズレると上手く回らない。
人間個人の自意識は普遍的ではないから、だから普遍的主体性に向かって意識を向ける。
その通じの中に気づきもあり、また理に通じがあるので整いもある。
またズレも感じたりもする。
それが自意識、そして個人が世界と別にあるという誤まった捉えをすると、それに気付かない。
世界そのものの整いともズレる。
世界にいるのに世界のことに気付かない。
只自分の引きこもって閉じた中に。
でも世界にいることは変わらないけど。
半分正しいと書いたのは、意識に世界の繋がりとの捉えがあるかないか。
無ければ大喜利に。
あればこの方が言う様な気付きにということだろうね。
神はいないということは、世界には理も形成もない、というのと同義なのでそれ自体がナンセンス。
まあでも普通に思われている神は意識に映った投影としての識神なので、それはいないというのは正しいけど。
つまり意識に映ずるものは全て何かの投影ということでもあるけどね、それは。
注目のコメント
迷子になってワイ以外の家族が全員死んだ扱いした猫が一カ月後のクリスマスの朝にガリガリになって帰ってきた時はクリスチャンに改宗しようかと本気で思いました。
今は18歳ですが、まだまだ元気です。