Alpha Zeroの衝撃と技術的失業
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AlphaZeroは、囲碁用に作られたAlphaGoを改造して、将棋のルールだけ教えたら、過去の棋譜などの情報一切なしで、自己対戦のみで2時間で最強将棋ソフトに匹敵するレベルになったという。
AI教材ゼロで超人に
競争して進化 研究に転機
https://newspicks.com/news/2681263/
コンピュータ将棋開発者たちが、血眼になって長年築き上げてきた研究の備蓄が、一瞬で抜き去られた。
シャルトルのベルナールやニュートンは、現在に生きる人の洞察の深さを「巨人の肩の上」と、過去の人の積み上げの上にあることを強調した。それではその「過去の人」とは誰か。
Bornmann等は、科学進歩とは、平凡な科学者による漸進的研究の積み重ねの総体によってこそもたらされる(オルテガ仮説)のか、それとも一部の天才による革命的進歩によってもたらされる(ニュートン仮説)のかを、論文の引用回数を用いた解析によって分析しているが、結果は後者が現実に近いようで、「巨人」とは過去の偉人達の業績のすべてではなく、一部の天才を指すようだ。
Lutz Bornmann; Félix de Moya Anegón; Loet Leydesdorff. “Do Scientific Advancements Lean on the Shoulders of Giants? A Bibliometric Investigation of the Ortega Hypothesis”. PLoS ONE 5 (10): e13327. doi:10.1371/journal.pone.0013327.
http://journals.plos.org/plosone/article/file?id=10.1371/journal.pone.0013327&type=printable
コンピューター将棋においては、2006年にBonanzaが巨人として登場し、その肩の上にBonkras(Puella α)、ponanzaなどボナンザチルドレンが生まれたが、ディープラーニング(またはGoogle)が文字通り突然現れ、「超大型巨人」として抜き去っていったイメージ。新技術の登場によって、これまでの技術者が悔しい思いを素直に吐露しつつも、それで良い、そうであるべきだと進歩を受け入れる姿勢が素晴らしい。
こんな自分もこのアイディアは、このサービスならと考えて世に出して、上回られたり、負けたと受け入れながら成長した気がするので。
それにしても、やっぱりZeroは大きく異なる手法なんだ。研究開発には2種類あると思っていて、1つは競技人口の多い大きな山の頂を目指していろんな登山口から登る競争。もう1つは誰もいない荒野に自分だけの小さな山を作る開墾。この「技術的失業」感というのは、前者の第一線を走っていた人ならではの感覚じゃないかな。尊敬する。