「iPhoneは売れない」とした日本の発想と、シリコンバレーの発想の違い - シリコンバレーの流儀
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注目のコメント
さんざんガラケーを作りまくっていた僕が発売当日に入手して絶対普及すると断言したのがiPhone3G。
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0807/18/news074.html
面白いことに、iモードの開発にまったく関わってない販売の幹部とか、経営幹部、そして、自己正当化したい技術陣は全面液晶は若い子に受け入れられないなどと主張していた。若い子とコミュニケーションもなかったくせに。
日本の場合、よく成功体験とか言うけれど、それなりに成功した企画や開発の最前線にいる人間は、やはりそれなりに勘や知見があり、新しいものにも敏感なのだが、その周りに乗っかっている人たちが、成功もしてない成功体験にこだわって出遅れてしまうように思う。ちなみに僕が「成功体験」からiモードのOSをアンドロイドにしようとしてたのに対して社内がまとまらないiPhone発売前年の状況を指摘した記事を見つけたので添付します。http://satoshi.blogs.com/life/2008/01/post-14.html
成功体験が間違いを呼ぶのではなく、成功に周辺で乗っかっている人たちが硬直化した判断をするようになって日本企業がイノベーションを生み続けられないのだと思います。
追記 世界で初めてケータイへのアプリダウンロードを可能にしたのは、2001年1月発売のiアプリ、コンテンツ中心の垂直統合の価値観を携帯業界に初めて持ち込んだのがiモードだったので、携帯業界ではなかなか受け入れられず大変でした。特にノキア、モトローラ、エリクソンなどからの嫌がらせ(標準化作業での対立や、日本の総務省へのロビイング、よくわかってない経営トップへ懐柔など)は相当なものでした。そのノキアもモトローラも端末部門は崩壊しMSやグーグルに売却される。ということで、実は変化できなかったのは日本のケータイ産業だけでなく、世界の通信産業が変化でなかったのです。そもそも、iPhoneは携帯電話からの進化じゃないでしょ。
原型は音楽プレーヤーのiPod。
2007年当時のiPhoneのコンセプトは、iPodと当時普及していたPDAを統合したものです。
日本でもザウルスなどで知られるPDAは、1994年には初の携帯電話付きPDAであるSimon が発売され、同じく携帯機能を搭載したノキアのNokia9000はベストセラーモデルになるほどでした。(例によって日本では通信不可だったような)
従って携帯付きのPDA自体は決して珍しくはなかったのですが、ガラケーにキーボードをつけたようなデザインだった上に、せっかく通信機能が付いているのに、予定や電話帳などのデータ同期はケーブルを使っていました。
当時からガジェオタだった私もPDAは大抵の種類を持っていましたが、この中途半端さが一番の不満でした。
Appleの凄いところというのは、当時既に音楽プレーヤーも、通信機能付きPDAも、ネット環境に繋げるガラケーもあったにも関わらず、それらのカテゴリーを乗り越え、かつ高いユーザビリティを実現してその機能を統合したことです。
つまり、元々携帯電話から進化したものではないで、世界的に超高性能だった当時の日本の携帯電話のユーザーや、その専門家が、あんな中途半端なものは普及しないと言っても別に当たり前だったわけですね。
因みに私は初代iPhoneを持っていた(日本未発売、かつ当然通信不可)のですが、3GSを買った時に売ってしまいました。
今持っていたら骨董的価値で相当な値段がついていたかと思うと、悔やまれるところです。iPhoneが日本でも発売開始された直後の2008年夏。1995年から13年間も使っていたPHSからiPhone3Gに乗り換えました。
2008年当時はmixi(懐かしい)でも2ch(懐)でもiPhoneはバッシングの集中砲火。
■ワンセグを見られないw
■赤外線通信(懐)ができないw
■おサイフケータイを使えないw
■SDカードを入れられないw
■っていうか、iPhone3Gは重すぎw
その後どうなったかはご存知のとおり。
上記の揶揄に象徴される日本のメーカーのスペック至上主義(全部入り好き)が敗因でしょう。記事中にある「帰納法発想」だと全部入りになりがち。
他方、記事中にある「演繹法発想」だと全部入りとは無縁。引き算が肝要なUXの組み立てにも「演繹法発想」はうまく合致しますね。