リベラルアーツは「社会人としての教養」、ではない
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好きなことや専門性を伸ばすことを根として、いろいろなジャンルの勉強をすれば、その根は伸び、広がる。根はクロスオーバーし、結果、暴風や雷雨や干ばつなどあらゆる局面に対し、根元の大木は倒れない。
金利がプラスなのは、経済が成長し続けているからで、それは石炭を機械掘りすることで始まったものです。
"時間を経ても、場所が変わっても変わらない、普遍的で永続的な理(=ことわり)が「真理」であり、それを知ることによって人々は、その時その場所だけで支配的な物事を見る枠組みから自由になれる"
との事ですが、時間や空間に依らず成立する真理は多分数学と物理学の世界くらいで、しかし物理を知っていても自由にはなれません。
"「問う」「疑う」ための技術がリベラルアーツの真髄"
リベラルアーツってそういう事でしたっけ。
哲学や科学、ビジネスイノベーションならばわかりますが。
"どんどん専門分化する科学知識をつないでいくものとしてリベラルアーツ"
"専門化が進めば進むほどに、個別専門の領域を超えて動くことのできる「自由な人」が求められるからです。そしてこの「自由さ」を与えてくれる唯一のものが、リベラルアーツ"
もうリベラルアーツ万能すぎる。
"領域を横断して、必ずしも該博な知識がない問題についても、全体性の観点に立って考えるべきことを考え、言うべきことを言うための武器として、リベラルアーツは必須のものと言えます。"
結局薄く広くなんでもやれってことなのか。
何がリベラルアーツだったのかさっぱりわからん。
「役に立つ勉強全般」くらいの意味なんでしょうか。
山口氏の言う外資系コンサル流のプレゼン方法とか?
私は世の中を基本的にエネルギーの流れ、つまり物理現象であり、化学現象であり、生物現象であり、それが織りなす複雑系ネットワークの創発現象だと考えているので、この方が仰っているリベラルアーツは私には必要ないなと思います。
私の考えるリベラルアーツ(教養)についてはこちら
https://newspicks.com/news/1823732/哲学を志した自分の経験としてはざっくり日本人の一般感覚ではかなり意識しないと難しいな 実際使うよりも前提でそういう学問のながれや枠組みはあまり理解されてない 結果できればいい‥‥間違いではないがこの思考こそが陳腐な教養とされている証左であり共通言語が足りない理由だな
専門領域はいつの時代も確かにあるし簡単にプロフェッショナルにはなれない が 例えば すぐ 理系文系と別ける(別けていた)ような考え方こそやめた方がいい