【全文和訳掲載】マーク・ザッカーバーグ「仮想通貨は権力を人々の手に戻す、フェイスブックでの活用方法探る」新年の抱負で言及
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注目のコメント
フェイスブックは一時期より下火になっているかなと思った時期もあったが、海外での利用者数は圧倒的。
日本でも、東京で仕事をすると結構な確率でメールよりもフェイスブックのメッセンジャーで連絡しますねと言われる。大阪含めた地方ではあんまりそんな印象はないが。
その巨大なプラットフォームに仮想通貨がくっつくとどんな科学反応を見せるか楽しみだ。原文をまだ確認していませんが、ザッカーバーグが言っているのは、まだ「現状では政府など大きな力によって中央集権的ににっており、その結果、人々が不利益を被っている分野について、facebookが非中央集権的なシステムを作ることで代替する」ことの研究をする、というレベルな感じもします。何らか、権利やお金の授受や契約、決済に関わることではあるのか…?
原文を読んだ時から抱いていた違和感について書いてみます。
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私自身もFacebookユーザーですが、Facebookは典型的な中央集権型の仕組みであって、その中央にザッカーバーグが居るわけです。彼自身は、権力に対峙する民衆側の一人としてこの文を書いているのですが、客観的に見て、彼自身はある意味で権力者であり、少なくとも多数の一般人の代表ではありません。
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方々、仮想通貨の起源であるサトシ・ナカモトのビットコイン論文は、確かにアンチ中央集権であり、そのための仕組みとしてビットコインが作られたことは疑いがありません。しかし、その後、状況が変化する中で、ビットコインの分権性は弱まりつつあります。一部の大手採掘業者とコア開発者という中の人が牛耳る仕組みであることが、徐々に明らかになってきました。そして、昨年大ブレークしたアルトコインの中には、分権型とは言えないものが多く混じっています。発行体が存在するICOを含めると、分権化に名を借りて、別の新たな中央を作り出しているようにしか見えないのです。
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99% vs 1%という議論がありますが、中央政府関係者や銀行家の多くが1%の側であると同様に、ザッカーバーグやビットコイン長者もまた、1%の側でしょう。ザッカーバーグが分権化をほめたたえ、権力を人々の手に取り戻すために、仮想通貨に可能性を見出すと新年に発言することは、二重の意味で皮肉であり、その人々はどの人々なのか、という違和感を持ちました。
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実際には、Facebookと仮想通貨を組み合わせて何かをする、というのは、そう簡単なことではないし、調べるだけに終わりそうな気がします。私は、そうした検討なりプロジェクトなりにはあまり興味はないのですが、この文章を読んだ時に感じた違和感は、技術革新と民主主義と富の偏在という、なかなか深淵な矛盾から来るものではないかと感じたのでした。