AIはゴッホや北斎を完コピできるのか
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AIが作成側に回るとすると、「降水量はゴッホ要素、気温の高さでピカソ要素、湿度はフェルメール、のこりAI」のような「リアルタイムで変わるアート」とかも出来そうですね。
映画でも、亡くなった俳優をデジタル技術で「復活」させていましたが、そんな感じで「ピカソの新作」なども可能でしょう。あるいは「新しい自動運転車をミケランジェロにデザインしてもらう」のようなものも。
注目のコメント
最近,ギィ・リブという贋作画家の書いた「ピカソになりきった男」 http://amzn.to/2BtDTZU
という本を読んだ.贋作のきっかけは,上達するためだったと言うが,有名な画家と同一化して,模写して作風を学び,関連する美術書を片っ端から読破.そうすることでついに,有名な作家がどのような精神状態で作品を創ったのか,すべてを理解し,まるでその作家が憑依したかのように創作に取り掛かるようになり,ついに見破れない贋の新作を描きあげることができるようになった,という.実際,その作家が作画している様子を知る関係者でさえ,騙せるぐらいのできだったという.本物,贋作がそれほど重要な問題か?というドキッとさせられることを言う.矛と盾の関係ではないが,真似する側と見抜く側のテクノロジーは同時に発展する.結局,信じるか信じないかは人がどう感じるか次第.アートには様々な要素があり、メディアとしての作品が直接人間の感覚器官に引き起こす作用だけではなく(何もしないという作用も含め)、置かれている文脈や社会的背景、受け手の状態、そして多くの場合、作り手の存在が重要になる。
例えば、絵画のようなビジュアルアートの場合、具象/抽象を問わず、人間の視覚が感知できるなんらかのコンセプト(それは具体的な事物や風景であったり、それを想起させるようなデフォルメてあったり、ポロックやモンドリアンのように単に色や線だったり、フラクタル構造のテクスチャだったりする)が提示され、そこから呼び起こされる感覚の共感性や新奇性に脳が反応する事で「興味」なり「感動」なりなんなりが引き起こされる。
ただ、単純にメディアとしての力だけで作用できる場合もあるが、殆どの場合、受け手は作り手の真意を探ろうとするので、そこに代わりのきかない「作り手」の存在が重要となる。
例えば、大手メーカーがなんらかの素晴らしい芸術作品を作成したとして、その説明を担当部長や担当役員が行っても、なんか味気ないものとなる。
これはお笑いも同じで、作品の成否を評価される対象として、代わりの効かない作り手としての「個人」がそこに想像できないと、オチが成立し難いということになる。
デジタルアートであっても、作り手の存在を必ず匂わせてくるのはそのため。
「北斎らしさ」や「ピカソらしさ」を完コピできても、北斎やピカソの人生はコピーできないので、それはアートではなく単なるよくできたビジュアルデザインでしかない。