神風特攻隊――現代の若者たちはどうみているのか
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注目のコメント
特攻に対しては、誰もが内心あんな作戦「クソくらえ」と思っていた。あまり知られていないですが、特攻命令を拒否し続けたパイロットたちもたくさんいます。
こちらをご覧ください
↓
特攻なんてクソったれ!特攻を拒否したパイロットもこれだけいたという事実
http://wildriverpeace.hatenablog.jp/entry/2017/08/15/231948昭和19年10月20日午前1時過ぎ。
「一、現戦局に鑑み艦上戦闘機二十六機(現有兵力)を持って体当たり攻撃を編成す(体当たり機十三機)」
本攻撃隊はこれを四隊に区分し、敵機動部隊東方海面出現の場合、これが必殺(最低使用不可能状態)を期す。
本攻撃隊を「神風(しんぷう)特別攻撃隊と称する。
二、二○一空司令は現有兵力を持って体当たり特別攻撃隊を編成し、なるべく10月25日迄に比島(フィリピン)東方海面の敵機動部隊を殲滅すべし。
編成
指導官、海軍大尉「関 行男」
各隊の名称を、敷島隊、大和隊、朝日隊、山桜隊とする。
敷島の大和心を人間はば
朝日に匂ふ山桜花
上記が、神風攻撃隊の命令書です。
この時代背景を考えますと、何処が良いとか?悪とか?
今の時代とは別の世界と思います。
関大尉は当時は艦爆の操縦士でしたが、戦闘機要員が不足の為転科して来て居ります。
「俺なら、敵の空母に25番(250キロ爆弾)ぶっつけて帰れるのに!」
とも言ったそうです。
ちなみに「カミカゼ」は連合軍側の呼び名でした。
当時は暗号解読が進んで居ましたので、しんぷうの漢字の読みがKAMIKAZEとなったとききました。
今のお若いお方には想像すら出来ないと思います。