【解説】昭和の日本に君臨した「総会屋」とは何だったのか
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注目のコメント
総会屋とは、当時の「経営不在」の大企業を頂点とする大企業至上主義の日本全体が産んだ不必要悪です。
経営とはリーダーシップであり、リーダーシップとは決定です。
当時の大企業に、そして今のそれにも少なからず、リーダーシップが不在な理由は一括採用、年功序列、終身雇用、そしてそれをベースにした生え抜き経営陣主義です。大企業の経営者がほぼ100%生え抜きの国は、新興国の財閥くらいなもので先進諸外国で例がありません。経営とはプロ経営者がやるもの、これが国際常識です。
総会屋がさすがにいなくなったがその役割がメディアや社会の監視に変わったに過ぎず、当時の大企業の本質はさほど変わっていないがゆえにこれだけ大企業に偏って不祥事や経営不振が多発しています。
ブラック企業撲滅だワークライフバランスだもいいですが、「働き方改革」の本丸は、ここだと思います。『日本を代表する企業の株主総会で、総会屋の姿を見ることはない。反社会的勢力が、日本企業のガバナンスから一掃されることはもちろん何よりも重要なことだが、一方で「企業の経営陣に緊張感がなくなった」と指摘する元総会屋もいる』
これは本末転倒でしょう。
株主総会は、全株主を対象にした議論と決議の場であって、総会屋と言った特定の株主にだけ利益を供与するためにあるのでは無い。
企業の経営陣に緊張感を出すのは、ジャーナリズムと「もの言う」だけでない株主全体が担えばいい。さすがに当世では本シリーズで紹介されるているようなオールドスクールな総会屋は存在しないでしょうが、活動の舞台をネットに移し、経営者の疑心暗鬼を突いて企業からの見返りを求めるような勢力が存在することを思うと、株主総会の位置付けが相対的に低下しているのかもしれません。
総会屋についての以下の説明は、現代であればネットを通じての方がよほど効率が良いのでしょう。
「企業の不祥事や経営陣の個人的なスキャンダルなどを質問する存在だった。その後、あえて議事妨害になるような質問を取り下げる、といった提案をして企業の弱みを引き出す交渉をするなど、さまざまな揺さぶりをかけて、株主の権利の行使の見返りに違法な資金を引き出していた」