東芝・シャープが勝ち目のない案件に挑んだ理由 大失敗の共通項を神戸大学の三品和広教授に聞く
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注目のコメント
経営が乱暴というところ、納得感があります。いろいろなキャリアを試さずに、新卒で人生の全てを一つの会社に捧げることも、おそらくは同根の問題ですね。小さなリスクを避けて、より大きなリスクを取ってしまうという不思議は、日本では散見されます。
とはいえ、最近は日本企業も変わってきています。ベンチャー投資もしますし、採用した人材の扱いも横並びを脱してメリハリをつけるようになってきています。なんでも内製という企業は減ってきていて、社外との連携もうまくなってきていると思います。
解雇規制の撤廃による雇用の流動性が確保されたら、ここらへんの問題は一気に解決するように思います。企業レベルでリスクの取り扱いが下手だったのは、個人レベルでもリスクの取り扱いに慣れていないという背景があったのではないでしょうか。シャープの場合と東芝の場合とでは多少投資した技術の中身は異なる。シャープは自社の技術の延長線上。東芝は自社にはない技術を補完する目的があった。
とはいえ、大量の投資で一気にデファクトスタンダードになろうとしていた。確かに液晶パネルも原発も自分がわかる事業でしかなかったのは指摘の通り。いずれの企業も投資決定時点で周りが見えてなかったわけだが、たとえばシャープの場合であれば想定外の円高が継続的に進み、日本での量産に何のメリットも無くなってしまった。確かに投資決定時点からすれば想定外なのだが、その想定外にも耐えられるだけの想定をしていれば、中国ないしは東南アジアに前工程をつくっていたはず。
東芝もまた想定外の東日本大地震がきっかけで一気に状況が暗転していくわけだが、これらの想定外の要素を鑑みつつ、投資の意思決定をしていく、という意味では、ソニーのSAPみたいにホームランではなく小さくバントで積み重ねる、というのは案外とアリなのかもしれないなあ。
追記
経営って後から何とでも言えるという意味で本当に難しい。想定外の円高を防ぐ方法はあったのか?どうすれば、よかったのか、対策の難しい外部環境をどこまで想定するのか?三品先生は大変優れた先生ですが、あえて書かれていないことに、生殺与奪の人事権を握る日本の皇帝化した経営者の暴走は誰も止められないということがあります。
液晶産業では、日本に学んだエコもの作り(MFCA)を台湾のライバルは導入していましたので、数パーセント程度原価低減で競争力逆転が生じていたと思われます
過度の高品質追求の日本企業の性が、競争力低下を招いていたといえます。これは他の日本企業でも生じている現象です。
研究者の方には、Jモデル・Aモデルのようなシンプルな比較経営分析だけでなく、現場の計数まではいりこんで掘り下げていただきたいものです。
なお、堺工場の太陽電池は、得意な結晶系ではなく、アモルファスかつ量産で、噂では、イールドや初期劣化でも苦労されてはったようや、と。地道に得意な多結晶で頑張ってきた京セラはんと差がついてしもた、って。本当のところは、霧の中ですが😅
その上、エントリーが容易なアモルファス系ですので、新興企業との激戦地レッドオーシャンに飛び込んでしまったのですから、最悪のタイミングでの大ジャンプだったと言えるでしょう。