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今の多くの学生が、「何をやればいいのかわからない」状態なのは、何かが勉強したくて大学に入っている人が皆無だからで、ある意味当然のこと。それは、学生本人のせいというより、大学進学率を上げたい文科省と、大卒を優先的に採用する企業と、それに合わせて大学に行かせたい親と高校と、それぞれの思惑が合致して、就職のために大学に行かせられる人が大多数という社会構造だからで、そんな人達に「君は将来なにがやりたくて、そのために何が勉強したいの?」なんて聞いた所で酷な話だ。

そんな世の中に存在してしまっている、現代の大学において、教員に出来ることといったら、せっかく入ったのだから、せめて入ってよかったと思ってでていって欲しいという切なる願いだけだ。

正直、何がしたいのかをシステムとして上から自問自答させるのは、結構危険なことなので(マインドコントロールにもつながるし、やりようによって学生の進路傾向を変えることができてしまうから)、あまりいいとは思わない。キリスト教はどうなのかは知らないが、「そもそもなぜ働かなければならないの?」と教員側が逆質問されて、答えに困ること間違いない。
全部とは決して言いませんが、本当にそうでしょうかねえ。

公立中学校に通う愚息を通じて、彼をそこはかとなく支援したり一緒に考えたり(裏ではグロく洗脳したり(笑))、一緒に学校訪問をしている印象では、都内の中学や高校は、かつての僕の学生時代のそれと比べると、いいものは残しつつ詰め込みやオンザレール指導はあまり見られず、劇的に変化しているように感じております。

また、ここ数年の仕事柄を通じて見る多くの大学も然りで、春や夏の休み期間中に多くの学生が図書館にいたり、オープンスペースで課題の探求や解決策のプレゼンやディベートをしたりしていて、アカデミアが本気でアカデミアを探求するチャレンジが多種多様に息吹きつつあるかなとも感じております。有難いお声がけで授業や講演をさせていただく場合も、学生の反応にはワクワクさせられることが多いです。

日本の教育を、与えられるものだけやっているつまらんものだとか、自分自身で探求させるアプローチがないだとかおっしゃっている方々は、ここ最近の(一部か多くかは別として)知的に面白い仕掛けや取り組みが相対的に増している状況があるかどうかを、本当に今の自分の目で見ておっしゃっておられるんでしょうか。

繰り返しになりますが、決して全部がそうであるとは言っておりませんが、僕には、知的にワクワクする学校や取り組みは、明らかに大きなベクトルの向きを変えるくらいのうねりがあるように感じております。まあ、僕個人の印象にすぎませんが。

【補足】
僕は、この問題の本質は、学校(他人サマ、教科指導や学友などを与えてくれるもの)に期待しすぎず、それはギブンとして、あるいは思いがけないことには感謝して、本人(自分ゴト、あるいは、支援する親や周りもちょっとだけ含む?!)がどうしたいか、どうするのか、そのために何を調べ考え行動するのか、ということに尽きると思います。無論、学校段階の違いや年齢により、程度や傾斜の違いはありましょうが。そしてそれがかなわない家庭事情等がある場合に手を差し伸べる仕組みは極めて重要だと思いますが、根本は、自分ゴトと自立に向かう、それぞれの多様なパスへの寛容さではなかろうかと。
もう無理がありますねぇ、修士論文が必修なのは 学ぶべき基礎知識量が増え、若者の精神的成熟も遅くなっているので 

米国では、修士論文自体、ほぼなくなりました
大学に行くときは、得意な科目と苦手な科目で、理系文系を選んで、就職するときは、「やりたいこと、好きなこと」で選んでいるんですけど、もうちょっと実態と将来のこうありたいという姿や実現のための道筋とか選択肢を、高校の進路指導や大学のキャリア教育(就活の前の段階)で示してあげた方がいいんじゃないかと思う。そういう想いで取り組んではいます。
『普通の臨床医になったり、総合研究所で株のシミュレーションの計算をさせられたりして、食べている』

職業間に貴賤無し。されど職業内に一流と三流あり。

引用部分のような考えは、この基本的ポリシーから逸脱していると言わざるを得ない。

久しぶりに目にした悲しい記事だ。