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「AI「りんな」に対して「乳首ドリルすんのかい、せんのかい」とメッセージを投げかけてみてください。」のところから俄然読む気が高まった。
人間には人に近い対象を自分事として理解しようとする本能があります。我々が作った人工知能が膝を曲げて、体験とデータからブランコをこぐデモでは、見ている人は、
https://www.youtube.com/watch?v=q8i6wHCefU4
自分事として目の前で起きている現象を理解しようとするあまり、ロボットの姿が「けなげ」に見えてきます。
これは、科学的事実とは異なる一種の錯覚です。これがAIを凄いと思うようになる反面、ネガティブな反応にもつながる要因ともなっています。
動物だけではなく、キャラクターや、植物や非生物にまで自我を感じる時がある。いわんや人工知能をや。

一方で、こいつ本当に自我があるのかと疑ってしまう人間もたくさんいる。人間同士でさえ、本当にコミュニケーションが取れているのか極めて怪しい。いや、ほとんど見せかけの幻想だろう。

とはいえ、「自我」は科学的に規定されていないので、存在の有無を議論しようがない。人々の観念の中にしか存在していない。ただし、自我自体は幻想だが、人間やそれ以外に対して確かにそれを感じることは、科学だ。20世紀は主観を否定することが科学とされてきたが、最近ではその反省で主観を科学的(客観的)に扱う重要性が再認識されている。

チューリングやサールの議論は必ずしも「自我」の有無ではなく、いわゆる「意識論争」の文脈にあるが、「意識」も非常に曖昧な概念。

自我は科学的に定義不能だが、最近ようやく脳科学的に区別可能な概念として、ドゥアンヌ等による「コンシャスアクセス」や、トノーニ等による「統合情報理論上の意識」などがあり、現在としてはその辺りから議論をしないと、言いたい放題で身のある話にはならないだろう。

乳首ドリルと言えば、井口昇監督のB級スプラッター映画「片腕マシンガール」で、服部半蔵の子孫であるヤクザ木村翔の妻、木村スミレ(演 穂花)の必殺技「ドリルブラ」を思い起こさせます。この映画は海外でも人気で、海外の友達に穂花が元AV女優だと伝えたら、日本社会におけるAV女優の地位の高さに驚いていました。映画館スタッフが選ぶ、2008年に最もスクリーンで輝いた映画 第34位
そもそも「自我」って科学的に定義できるのかねえ。できないんじゃないかな。
大学院の時に、分子生物学に基づきニューラルネットワークと遺伝的アルゴリズムを用いて単細胞な人口生命体のモデリングと生き残りの研究(の端くれ)をしていた自分は、コンピュータサイエンスの究極の目的は人と同じものを作り人を超えることと当時から解釈してきました。
ですので、AIに触れた人が、これ(AI)が自分と同じように、いずれ感情を持つのではないかと考えるのは、これ(AI)が目指しているのが自分(ヒト)自身なので、ある意味当たり前の自己投影だと思うのです。


余談ですが、上記の研究の結果、移動距離や捕食性、餌に対する感度、旋回性など行動特性の異なる個体を5千世代遺伝的アルゴリズムで生き残りシミュレーションした時には「外界の餌の濃度を機敏に感じ取って方向変えて動く個体」が最も生き残り、ダーウィンの進化論「変化に対応するものが最も強い」を再現できました。(注目:パラメータ設定によって結果は変わるので一概に言えませんが)
なるほどねぇ
自我が芽生えるか、というタイトルの命題を考えるなら結局「自我とは何か」を定義しなければならず、記事でも多少触れながらもうやむやにして「自我は芽生えない」と結論付けているように感じます
個人的にこれまで見聞きしたなかでは、ヤフーの安宅さんが「生物学での最大の発見は、遺伝子はATGCの組み合わせである、とわかったことで、要するに人間を分解すればデジタルの組み合わせである、とわかったことなので、いつの日か人間と同じ構造を作れることは決まったということ」という趣旨のことをいっていたのが一番印象的に残っています。
一方で、人体の仕組み自体が解き明かされていないなかで、それと同等の物を作り出すには長い時間がかかりそう、というのも同時に真実なんだろうと思います
最後で述べられてるように、人間自身、自我であったり意識のことをよくわかっていないのだからこうした議論の土俵に本来立てていない。我々も己の経験などが合わさって、ある種反射的に意思決定を行なうのだから、どこまで機械と違うといえるだろうか

以前取り上げられていたロボット工学で有名な石黒先生の記事内容も合わせて考えれば、冒頭の

>「会話が通じており、コミュニケーションがちゃんとできている。まるで心があるように感じた」

というのは実は人間に対しても同じことなのかもしれません。

(石黒先生の記事)
https://newspicks.com/news/757811?ref=search&ref_q=%E7%9F%B3%E9%BB%92%E6%95%99%E6%8E%88&ref_t=top
コミュニケーションとは相手と心を通わせているのではなく、相手という対象物を利用して自分自身と対話しているんです。だから、人によって心のあるAIは存在する。
「我思うゆえに我あり」が、そもそも間違っていたという、最近の認知科学の趨勢を考えると、生体システムの中の自我という情報処理に、人が思い入れる程の不可思議さを見出す、という人間至上主義は、もはやナンセンスかも知れないんですよね。