日本人にとって「いいね!」とは何か? 共感の時代のSNS民俗学
コメント
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面白いですね。
いいね、に関しても色々な意味合いが混ざっていて1つに解釈することができない今の世の中では、感情を何かに規定されなくなっているということですかね。個の発達、それによる表現の自由化が進めばいいなって思っています。
ちなみに、SNSの「いいね!」はアダム・スミス的な倫理学書『道徳感情論』と経済学書『国富論』が根本にあるのかなと思っています。アダム・スミスは資本主義社会について書きながらも『道徳感情論』にて人との同感(シンパシー)を求める生き物って書いてますね。
注目のコメント
日本においての「いいね」等の
本来の意味合い/由来に触れるのに良い記事ですね。
(それを知った上で>いや必要ないかもしれません)
さらに今とこれからの日本人のSNSユーザー間における
👍等の意味合いをその都度その都度で理解していく事が
大切になってきますね。
個人的にはプラットフォームが提供する制限された
フィードバックファンクションは規律を守る為だけであり、
強いてはユーザーも「いいね」をいいねと思って
押しているのではなく、もっと直感的なリアクションと捉え
何がそうさせたかの方を模索する必要がありますね。
デジタルにおけるコミュニティーの表現は
自由なだけに意味合いの変わるスピードが早いです。インターネットやSNSに焦点を当てた民俗学や人類学がもっと盛んになってほしい。
"ところで、Facebookの「いいね!」ボタンのサムズアップは、だれもが「Good」だと理解し、親指を立てるアイコンに違和感を覚えるような人は少ないだろう。
しかし、日本では、「霊柩車に出合ったら指を隠す」という習慣がいまでもみられ、「親が早死にするから」だと説明される。
親指と呼ばれる手の第一指は、中世の日本では「おほゆび(大指)」と呼ばれ、江戸時代に入ると「おやゆび」の用例が現れるようになった。親指という呼び方が定着したのは明治時代以後と、比較的新しい時代のことでなのある。"面白い考察です。いいね、の中には、
「見たよ」というものもあると思い
ます。見たよの意味のいいね、
はキズナの確認、ゆるい共感、
意思表示も含まれると考えます。
政治的コメントには、いいねが
少なくなる傾向から言えるのは、
実名登録かどうかが影響してますね。
Twitterで炎上するのは、
匿名性に担保されていますが、
Facebookでは炎上はない。
実名登録だからでしょう。
実名か匿名か。そこに日本人の
集団行動の法則性が何かあるの
ではないでしょうか。