メルカリで「夏休みの宿題」何が売られている? 「子供の宿題と向き合う時間ない」共働きの親は苦悩
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休みの宿題なんてやめれば良いのに。遊ぶ時は遊んだ方が良いと思う。
これがつながって、日本はダラダラ仕事するし、休みが取りにくい社会になってんじゃないかな。
注目のコメント
面白い! どんどん広まって、宿題を出す意味がなくなればいい。
死語にしたい言葉がある。「勉強」と「宿題」
「勉強」はもともと、気の進まないことを仕方なくする、という意味。ドラマなどで買い物するおばちゃんたちが、若い男の店員に「あんた、これ勉強しなさいよ」と値引きを強要するセリフが、その本質。学校での「学び」が、何故「勉強」となったのか。明治になって富国強兵策として、西欧の進んだ知識を吸収しなければならなかったからだ。それが100年以上かけて日本文化となってしまったから、「勉強って、苦しくなくていいんですか?」という質問が飛び出す始末。
「宿題」も同じ。子どもが獲得すべき内容や資質が外にあると考えるから、学校だけでなく家庭でもそれを強要することになる。そして何より「勉強」「宿題」文化に洗脳されてしまった保護者は、「宿題」がないとうちの子どもは「勉強」しないから、「宿題」をだしてくれと要望してくる。もし夏休み、読書感想文の「宿題」を出さなかったら、大変な抗議を受けることは容易に想像される。そんな対応に無駄なエネルギーを費やすなら、形だけだしておくか…(これが現実)
マインクラフトに熱中し、その世界を思い切り飛び回る子どもたちが新しい技術を学ぶのに、勉強や宿題といった概念はない! 夏休みに、マイクラで発見したことや面白いと思ったことを教えて、と言えば子どもたちは得意げに話してくれる。そこには21世紀に必要なSTEAMの知識やComputational Thinking が満載。何より子どもたちの「主体性」がIncredibleだ!
新しい時代を切り拓く子どもたちに、「勉強」「宿題」などという言葉をもって教育を語っている限り、IoTど真ん中、AI共生時代を生きるのに最も必要な「主体性」は絶対に育むことはできない!時代だなあー。例えば何種類も読書感想文を書いて、ネットで売ればお小遣いになるよと子どもにビジネスをさせる人もでてくるかもしれませんね。
それも時代にあった教育なのかもしれない。
ちなみに「買った宿題を自分がやったと言って出す」のと「親がやった宿題を自分がやったと言って出す」のと、どこが違うのか? とか、哲学的な問答をこの機会にやってみる。この宿題をやる意味はなにかとか、やらないで買って、その分の時間を何にあてるかなど、対話が産まれたら、それも教育かもしれません。うーむ。
ちなみに私立の幼稚園で必要とされる、手作りのバッグとかお弁当袋とか、全部外注できる店もありますよ。どこの幼稚園は何が必要とすべてわかっていて、お任せできるそうです。