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認知症患者への胃ろうは百害あって一利なし 米国ではほとんど認められない治療がなぜ日本では推奨されるのか

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コメント


注目のコメント

  • 総合ケアセンター駒場苑 施設長 介護福祉士

    最後まで口から食べる事を支援して、口から食べる事が出来なくなったら、看取りへ。これが1番自然で、辛い思いをしない死に方だと、特養で看取りをやっていると実感する。


  • 菊名記念病院 心臓血管外科 専門医

    【追記】
    倉橋 忠さんのコメントが素晴らしいです。鍵となるポイントが随所に網羅されていると思います。

    >家族のいずれかの方が記事内容を日頃から認識していること

    他の誰でもない「家族」(もしくはそれに準ずる人)が、そのときになって考えるのではなく「日頃から」思いを巡らしておいた方が良い内容であること。

    >漠然とした最善を望む、安楽を望むという心構えでは〜胃ろうという選択肢が落としどころに成り得てしまう

    「漠然とした〜心構えでは」、「〜落としどころに成り得てしまう」は、とても的を射た表現だと思います。

    >医師も選択肢として提示しないわけには行きません。

    あくまでも「選択肢として提示」しているのであり、選択肢すら提示せずに決めつけた話し方をし過ぎてしまうとそれは医師の傲慢だと思います。

    >「心臓が動いている限りは生きている」と認識するから

    心臓が止まらない限り最善を尽くすケースとそうすべきでないケース、そして、その間にあってクリアカットには判断しづらいケースなど実臨床の現場は様々です。そのとき本人ならどう思うだろうかを考え抜いて「代弁」出来る人は誰か。少なくとも担当医は代弁者ではなく意思決定のための「協力者」に過ぎません。ただし、意思決定のプロセスに関わる責任は非常に大きくて重たく、担当医はそこから逃げてはいけないと自省を込めてそう思います。

    あまりに倉橋さんのコメントが素晴らしかったので、他人のコメントに乗っかったでしゃばりなコメントになってしまいました。倉橋さん、ご容赦ください。

    【元コメント】
    坂野さん、猫286先生と同じ意見です。老衰は脱水とニア・イコール。点滴や強制栄養で浮腫んで亡くなるのは積極的に避けて良いと思います。なので、積極的に避ける場面(終末期)なのかそうでないのかの「判断」と最期をどうしたいかという「思いの醸成」が大切だと思うのです。


  • 厳しいようですが、家族のいずれかの方が記事内容(良記事です)を日頃から認識していることが最早必須だと思います。
    積極的に望む方もいるでしょうが、漠然とした最善を望む、安楽を望む(誤嚥や吸引を見たくない)という心構えでは記事のような内容を説明しても、胃ろうという選択肢が落としどころに成り得てしまうのが現状だと思います。医師も選択肢として提示しないわけには行きません。
    病院がやりたがることは基本そうないと思います。誰だって患者を拘束等したくないし、医療事故の危険性がただ増すだけです。胃ろうを作るより、病床の回転率をあげる方が経営的には合理的です。
    今は患者だけでなく家族も治療への積極的な参加が望まれる時代です。高齢の配偶者の方の決断が難しい場合、普段同居していない子どもや孫の方が意外と胃ろうを希望したりします。
    昔は、臨終の方でも不要な心臓マッサージをすることがありましたが、それだって家族が「心臓が動いている限りは生きている」と認識するからです。本人はそう言ったことを本当に望んでいるのでしょうか。そして誰がそれを代弁出来るのでしょう。

    【奈良原裕先生】
    私の意見にコメントをして下さり、大変嬉しく思ってます。ありがとうございます❗


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