プログラミング教育は「新しい考え方を学ぶ」ため
コメント
選択しているユーザー
プログラミングの素晴らしいところは、自分が考えたアルゴリズムやロジックなどの《仕組み》をコンピュータを介して目の前で具現化できることだと思っています。無数の要素が互いに協調し合い、意図した通り、あたかも《生きているかのように》自律的に振舞う世界を作り上げることができたときの喜びやちょっとした全能感は、プログラミングでしか味わえないといっても過言ではないかもしれません。そうした魅力に取りつかれた過去の数多のプログラマたちが作りあげた仕組みが今日の世界を作り上げているわけです。ですから、プログラミングの必修化は、言語や考え方を学ぶというよりは、初等物理で万有引力の法則を学ぶのと同じような、一般教養の一環として捉えるのも悪くないかもしれません。
注目のコメント
プログラミングを身につければ大丈夫という妄想
AIの時代が来るから、子供にプログラミングを身に付けさせるべきと考える親は多い。しかし、林さんも言っているように、プログラミングそのものは、AIがやってくれるようになる。
プログラミング教室の修了時に、子供たちに「さあ、好きなものをつくろう」と言うと、プログラミングでつくりたいものがないと答える子供がいる。与えられた課題でスキルだけを身につけるからだ。
問題解決手段の一つとしてのプログラミングを学ぶだけでは意味がない。問題発見力、課題設定力、そして創造力を磨いてこそ、親たちが願っているAI時代を生き抜く力を身につけることができる。大事なのはプログラミングをするためのスキルではない。そのとおり。政府も「プログラミング的思考」を育むことを重視しています。プログラミング「を」学ぶのではなく、プログラミング「で」作る、ことが大事。プログラマーを生む目的でもありません。身の周りが全てコンピュータとなる環境で、その根本原理を身につけるのは、読み書きと並ぶ基礎素養となるため。
AIやロボットで仕事が奪われる不安、それで更に新しい仕事が生まれる期待、さまざま交錯する中で、これまでリニアに成長・進化を遂げてきた社会とは異なる、大きく変化することが当然となる、道なき道を往く世代に対して大人が用意できる教育は、「変化を楽しめる」ようにすることではないかとぼくは考えます。プログラミングは、その一つの基礎でしょう。なんか、プログラミングプログラミングと言っていますが、プログラミングはコンピュータを動かすための言語であって、なんか別に新しいものでもなんでもなくて、子供達に教えて見ればわかりますが、子供達は楽勝で扱えます。国算理社レベルになら。もちろん、その中で優劣は出ますし、教え方による差も出ます。でも、それは、今の教科にもあることです。だから、この先の世の中で人ようなことなんですから、どんどんやるのみ、なんです。だって、とか、しかし、とかなく。