あの夏、僕は母と妹を殺した。70年間、語ることのできなかった戦争の記憶
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関東軍は、ソ連侵攻を察知すると、まず自分の身内を逃がし、そして、自国民保護という軍人としての最大の使命を忘れて遁走しました。あの戦争はあまりに多くの失敗、失態と悲劇を残しましたが、同胞を棄民にした当時の関東軍、そして大本営には今も怒りを覚えます。それにしても引き揚げ時の一般人が受けた傷の深さ。五木寛之さんは朝鮮からの引き揚げ時に母親がソ連兵から受けた仕打ちを、著書「運命の足音」に書くまで57年も胸にしまい込んでいました。多くの人がその辛い体験を吐き出せないまま亡くなったことに胸塞がれます。
71年前の夏。なぜ11歳の「僕」は、母と妹のふたりを殺さなければいけなかったのか。
満州から引き揚げた人たちが直面した、悲惨すぎる現実。罪悪感ゆえに数十年間語ることのできなかったというお話を、ある男性に伺いました。人に限らず動物は争って自分のポジションを保とうとするし、相手よりは自分が優位に立ちたいと思っています。
おそらくその気持ちはこれからも消えることはないし、オリンピックや経済競争や映画・ゲームのようなフィクション上の戦闘行為に転化しながらギリギリのところで国家間の全面戦争を回避していくしかないのかなと思います。
その営み自体が労多くして実りを実感しにくいものではありますが、少なくとも私たちの世代はかろうじて肉声を通して負の面について知ることができます。
あと20年もすれば日本だけではなく世界から第2次世界大戦の体験を持った人たちがほとんどいなくなってしまうであろうことを思うと、私たちなりに戦争を回避する知恵を新たに生み出していかなければならないように思います。