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「今の日本は、崖に向かって突進する羊の集団」精神科医・名越康文さんに聞く、群れない生きかた #だからひとりが好き

ハフポスト
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注目のコメント

  • 一橋大・京都大学客員教授 インテグラル取締役 京大経営管理大学院客員教授

    「自分で思考して判断して生きる「ヤギ」は誰のことも見下さない」とのこと。「いじめっ子」に幸せな子供はいません。群れることは刹那的な安心感でしかありません。自分は自分で考えて前に進むべきです。「人生は自作自演のドラマ」です。


  • 精神科医

    人生には1人の場面と対人場面とがありますが、原則として1人の場面を充実させることができない間は対人場面で充実感を得ることも困難です。何故なら対人関係とは自分自身との関係性の延長にあり、人は自分に与えるものしか相手に与えることができないからです。だからまず1人の場面で自分を大切にし、なりたい自分になること(=ヤギ)で心を充実させる自己実現が重要です。

    そうして自分に自由を与えることができれば心が満たされるため対人場面でも相手に自由を与えることができるようになります。そんな自分と相手の自由を調和させ心を調和させることこそが対人調和であり愛なのであって、同調圧力や他者評価に縛られ自由を見失うこと(=羊)は決して愛などではないのです。

    〈追記〉Shigeki F.さん、嬉しいコメントありがとうございます!無理は短距離走で有効ですが長距離走ではマイペースが1番ですよね!


  • 独身研究家/コラムニスト

    自分が「ヤギ」なのか「羊」なのかという分類はさして大事ではない。
    どの人間の中にも「ヤギ」と「羊」は存在していて、場面や相手によって違うはずなんです。人は誰だって帰属意識を持っていたいし、誰かと比較するし、誰かを見下してしまうもの。群れというものは本来序列を生み出すものなんだから。見下さないなんてい人間いるなら連れてきてほしいわ。

    今まではリアルな関係が群を構成していました。地域とか職場とか。だから可視化されていた。これからは、ネットでのつながり含め関係性は考え方でつながります。だから、自分は「ヤギ」のつもりでもいつの間にか「羊」になって、誰かをネット上で袋叩きしていたりする。それに本人が気付いていないことの方が問題なんです。
    いじめの構造もまったく一緒。


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