「自分探し」の貧乏旅行やバイト遍歴が間違っている理由
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他人がとやかく言うことではないし、個々人の好きにすりゃええやんというだけの話なんですが、若い間は探しても見つかる「自分」なんてものはないでしょうし、むしろ「自分を作る」という気概でいる方が良いんじゃないかな〜とは思っています。
30代半ばに差し掛かり、いよいよ中年に片足を突っ込んでしまったと思いつつも、気分的にはまだまだ若いつもりでいるので、未だに自分作りに励んでおります。
それはそれとして、学生時代の貧乏旅行は楽しいですよ。
四国のお遍路を88箇所回ってみたり、インド、ネパール、中国、モンゴルと、アジアをさすらい、お約束のガンジス川でバタフライをしてみたりと、学生時代は存分に楽しみました。なんなら今でも行くし、行きたい。
ただ大学卒業間際にインドの安宿を泊まり歩いていた際、ふと、自分はGDPの成長になんにも貢献していないと気づき、急に寂しい気分になりました。北海道の牧場で馬の調教をしていた頃にも、自分の仕事が社会とどの程度の繋がりを持っているのかとふと考え、同じように寂しくなった覚えがあります。
生産するということを気にせずに、湧き出る興味の赴くままに無目的に過ごすのも、それはそれで楽しかったのですが、やはり社会との繋がりがないと、自分はぽっかり寂しく感じてしまうものなんだなということを理解した経験でした。
「自分探し」のつもりは全くなかったのですが、その意味では期せずして「自分探し」になっていたのかもしれません。いわゆる「自分探し」の旅をしたことある人です。それも2回ほど。
自転車に跨って、熊本市から下関市まで。18切符で、熊本から岐阜までの旅をしました。
旅をするまでアタマの中で考えていた「自分探し」は、まるっきり別人に生まれ変わるような、今ある悩みや不安を払拭する生き物になれると思い込んだものです。
しかし、旅の途中で自分はどこに行こうと何処まで行こうと自分だという、至極当たり前のことにぶつかり、自分から逃げられない感覚を実感しました。
自分が抱える問題や不安は、今ある頼りない自分で足掻くしかない、魔法のようなものはなく、ただジタバタすることしか出来ないと感じました。
成長するためには、常に理想とのギャップを1つ1つ自分で埋めるしかない。そう思えるようになった、しがない貧乏旅行に後悔はありません。1つの道をある程度極めるには最低1万時間の努力が必要だと思います。1日8時間×週5日の仕事なら約5年ですね。でもそれを乗り越える頃には自分の得意なこと苦手なこと好きなこと嫌いなことが見えてくると思います。
それくらいの努力なくして自分探しをしてしまうと、ボールが真っ直ぐ飛ばないのをクラブのせいにしてコロコロ買い換えいつまでも上達しないゴルファーのようになってしまうかもしれません。