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他人がとやかく言うことではないし、個々人の好きにすりゃええやんというだけの話なんですが、若い間は探しても見つかる「自分」なんてものはないでしょうし、むしろ「自分を作る」という気概でいる方が良いんじゃないかな〜とは思っています。
30代半ばに差し掛かり、いよいよ中年に片足を突っ込んでしまったと思いつつも、気分的にはまだまだ若いつもりでいるので、未だに自分作りに励んでおります。

それはそれとして、学生時代の貧乏旅行は楽しいですよ。
四国のお遍路を88箇所回ってみたり、インド、ネパール、中国、モンゴルと、アジアをさすらい、お約束のガンジス川でバタフライをしてみたりと、学生時代は存分に楽しみました。なんなら今でも行くし、行きたい。
ただ大学卒業間際にインドの安宿を泊まり歩いていた際、ふと、自分はGDPの成長になんにも貢献していないと気づき、急に寂しい気分になりました。北海道の牧場で馬の調教をしていた頃にも、自分の仕事が社会とどの程度の繋がりを持っているのかとふと考え、同じように寂しくなった覚えがあります。
生産するということを気にせずに、湧き出る興味の赴くままに無目的に過ごすのも、それはそれで楽しかったのですが、やはり社会との繋がりがないと、自分はぽっかり寂しく感じてしまうものなんだなということを理解した経験でした。
「自分探し」のつもりは全くなかったのですが、その意味では期せずして「自分探し」になっていたのかもしれません。
1つの道をある程度極めるには最低1万時間の努力が必要だと思います。1日8時間×週5日の仕事なら約5年ですね。でもそれを乗り越える頃には自分の得意なこと苦手なこと好きなこと嫌いなことが見えてくると思います。

それくらいの努力なくして自分探しをしてしまうと、ボールが真っ直ぐ飛ばないのをクラブのせいにしてコロコロ買い換えいつまでも上達しないゴルファーのようになってしまうかもしれません。
「自分探しの旅」で何かを見つけた人がいるのだろうか?中田ヒデ氏も結局旅行中に何かを見つけられたのだろうか?そもそも「自分を探す」と言う意味がわからない。自らの使命や志を探すならば、わかる。でも、それらは旅行では見つからない。自らが様々なことに真剣に取り組んだ結果に初めて分かるものだと思う。
「自分探し」の貧乏旅行やバイト遍歴、大いに歓迎では?

若いときに、自分が“どう変わりたいか”が分かる人は少ないのでは?

私はいつも目的・目標を無理やり聞かれ、説明すると社内人なのに甘いと叱咤され、結構苦労したものだ。

若い時分、とにかく海外に出たい、旅したい、働きたい!と。

SARS翌年の14年前にシンガポールに来て苦労する中で今の自分のコアができた気がする。

貧乏旅行やバイト遍歴を寛大に認める社会も期待したい!

多様性を認める、日本の働き方革命を期待したい!

STAY GOLD!!
へえ、「自分探し」へのネガティブコメントが多いのは結構意外だなぁ・・・。日本で会社勤めをずーっとしているんじゃなくて、違うリズムを人生に入れてみるのは楽しくてよいんじゃないかと思っています。その一つとして長期旅行があるのはいいと思うけどな。すべては好みの問題ですけど。
今の時代、山を登ろうとして登るのではなく、自然に目の前の坂を登って行ったら山頂に着いたか、気が向くままに足を伸ばしたらいつの間にか山頂にいるパターンが多くなっているのでないか。つまり、多方面に興味があるのは歓迎すべき能力であり、それを否定するのは間違いだと思う。多くの人に会うのは成長に繋がる。
貧乏旅行やバイト遍歴も後になったら糧になるのではないか。
未来が不安なら現在の自分に真っ正面から向き合うこと。探しに行くことではないね、確かに。
自分探しをしている自分を見つけた時点でほぼ解決。
この筆者は、政府の唱える「働き方改革」が、実は「働かせ方改革」だということを分かっているのだろうか。

本当の「働き方改革」は、それぞれの個人が主体的に考えるべきもので、その人なりに好き勝手にやればいい。

「俺はできるだけ働きたくない」「旅をして暮らしたい」というのも自由。そういう多様な「働き方」を認めるのが、真の「働き方改革」ではないか。
昔、1年間ワーホリに出かけプチバックパッカーだったが、自分がどう変わりたいかとか自分が静的だとか、ましてや中国古典を下敷きにした小説のことなど考えたこともなかったな。とにかくなけなしのお金でどう日々乗り切って旅するかと、先々で会う異国の人たちとどう楽しく過ごすかと、現場で五感で感じる温度、湿度、臭い、音、肌感、そんな刺激をひたすら受けるだけだった。自分探しなんて言葉は当時なかったが、あの経験が今につながっていることは確か。