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本日こちらの対談記事公開されました。高田さん、Newspicksの皆さま、ありがとうございました。
ラグジュアリーの意味やその価値は急激に変化していると思います。本当に価値のあるもの、心地よいものとは何なのだろうか、と探求しながらの日々です。

ちなみに、ですがこちら撮影があったのは某ホテルのシガーバー。シガーバーなんて行ったこともなかったので新鮮でした〜
「消費の一部を社会貢献に回すというのは、すべての消費に当てはまると思います。ですが、富の格差が今後広がっていくなかで、あらゆる階層の方が“買うことで社会貢献”を実践できるかというとなかなか難しいところもあります。これから力をつけていかれる新しい富裕層の方には、ぜひ買うことでの社会貢献の責任を負っていただきたいですね。」(記事引用)

スターバックスの成功はいろいろな要因が重なったものだが、初期に米国で教育水準の高いアッパーミドル層(≒収入が相対的に高い層)にうまく食い込んだことがある。そういう人々は、スターバックスの提案するライフスタイルに共感しフォローしただけでなく、スターバックスのコーヒーを飲むことは「正しい消費」だと信じた。エシカルなコーヒーを調達し、環境にやさしい対応をするというメッセージを信じて。

しかし、仮にブランドが発信するエシカル・ストーリーがすべて正確にファクトを反映していたとしても(しばしばマーケティングは誇張や偏りによってストーリーを魅力的にするものだが―)、1杯のコーヒーを消費することが、どれだけエシカルといえるのか。こうした刹那の選択で自己正当化し、より全体観のあるエシカルな取組み(生き方)から目を背けることの問題を、社会学者のブライアン・サイモンは指摘している(『お望みなのは、コーヒーですか?――スターバックスからアメリカを知る』)

こうした問題意識から、立教大学大学院21世紀社会デザイン研究科のゼミ生の中に、「エシカル・コミュニティ」の形成を研究する者が出てきている。こうしたコミュニティができれば、ブランド発信のエシカル・ストーリーを無批判に受容するだけでなく、ブランド(つなぎ手)と生産者(つくり手)と消費者(つかい手)が対等につながり、無理なく、しかし持続的で一貫性のあるエシカルライフを一緒に模索できるようになる。新しい社会デザインの在り方として注目したい。
ラグジュアリーブランドには「上質な体験」と共に、そのブランド背景にもクレディビリティが求められる。その背景がいかにメンタルな部分にまでアピールできるかが重要。

良い影、残像を残すブランドが上質な体験を提供する。その体験をできる人は限られた人たちである。嬉々としてその体験を享受するというより、じっくりと噛みしめるように体験する。

いろんな世界でブランド力が求められている中、ラグジュアリーブランドから学べることが改めてあると思います。なぜなら普通のブランドがラグジュアリーブランドと同レベルの体験と残像、影を残せることができれば、そのブランドは最強になれるから。
倫理的である事自体に価値を認める人が
増えているのだと思う。

例えば、プリウスがセレブで流行った様に

意識高い事がカッコ良いというのは
逆に過去の、やたらと豪華なものを
ダサく見せるのだと思う。
ファストファッションにもヨーロッパでは倫理観が求められている。日本ファッションはその先頭に立たなければならない。ファーストリテイリング、良品計画、ストライプインターナショナル。
シャネルジャパンのリシャール・コラス社長がカチッと静かに閉まる日本車のドア、レストランでお冷やを出すときに紙ナプキンを巻いて水滴が垂れないようにしする気遣いなどを日本が世界に誇るニューラグジュアリーと語られていました。
倫理観、品格、誠実さ、利他の精神など日本人が備えている構えがラグジュアリーと称されるのは嬉しい。
中々面白い。昔の金持ち貴族支配階級層は、狩猟した鹿や鴨や、クマやトラの毛皮、剥製や象牙を富の象徴として部屋に飾り、富と強さの象徴とした訳ですが、今はワシントン条約にも抵触するでしょうから、生活の為に狩猟したマタギなどの職種の人の食料摂取後の生活の為の工具や装飾品としか価値は認められないでしょう。宝石も採掘業は本来、山師達の仕事な訳ですが、其処に、貧困に喘ぐ子供達に初期段階の加工業の仕事を与えると云うのはエシカルという程のいい社会貢献というよりは罪滅ぼしだと思います。其の子達に高等教育まで機会を与えて宝石商迄引き上げるなら話は別ですが。話は違うかも知れませんがロックフェラーを初め、大金持ちの社会的弱者に対する寄付の歴史はとても面白いし興味深い話ですね。
「社会的価値」「審美的価値」「社会貢献的価値」を定量化して、「財産的価値」とともに、見えるように、できればいいですね!
プロダクトデザイン、コピーライティング、グラフィックデザインに「社会的価値」を反映した上で、世に送り出せるようにしたいですね!

(本文より)
・ラグジュアリーは一部の富裕層の“富の象徴”から進化し、大衆が参加できる“社会を良くするための投票的消費”に変わっている
・「社会的価値」と「審美的価値」と「財産的価値」という3つの価値が定義されていましたが、そこに、近年エシカルの要素である「社会貢献的価値」が加わった
・ミレニアル世代の消費理由に「そのブランドがいかに世界に貢献しているか」がある

・ジュエリーの存在理由は3つあります。装飾的理由、財産的理由、最後に呪術的理由。加えて、社会貢献的な美意識そのものがブランド価値になっている
その倫理観を表現するというのは、とても難しいんです。

1)作為が目立つと全く伝わらないばかりか、ブランド価値にはマイナスになる。

2)自らを律する自己犠牲的な部分が足りず、札ビラを切ってばかりの「貢献」では、心理的な波及効果のコスパが悪い。

3)愚直なまでの一貫性が必要。ウラオモテがあると全ての努力が崩壊。

そうではあるのですが、こうした発想を愚直に訴求しておられるクリエイティブには好感を持ちました。
エシカルという概念は、最近はファイナンスとしての企業価値にも影響を与える様になって来ています。一方でグーグルやフェイスブックなど、その一部のオーナー株主のクラスBがその企業価値を支配している場合もあり、ある意味二律背反するファクターを両立させることが出来る発行体がこれからの時代のエクセレントカンパニーになるのだと考えています。

引用
高田:そうですね。もともとラグジュアリーには、「社会的価値」と「審美的価値」と「財産的価値」という3つの価値が定義されていましたが、そこに、エシカルの要素である「社会貢献的価値」が加わったのは、近年のことだと思います。
白木さんは、初めからエシカルを組み込んでビジネスモデルを作り、ブランドを作り上げた。そこが本当に素晴らしい。
白木:私はギリギリ“ミレニアル世代”ですが、ミレニアル世代の消費理由に「そのブランドがいかに世界に貢献しているか」というのがあります。