• 特集
  • 番組
  • トピックス
  • 学び
プレミアムを無料で体験

右手に大ケガ、動かなくなってホッとした理由

NewsPicks編集部
115
Picks
このまま本文を読む
本文を読む

コメント


のアイコン

注目のコメント

  • 慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科 特任教授

    「人間というのは、ケガをしようとしまいと、必ず年齢とともに身体の機能が部分的に失われていく。ちょっとずつ死んでいくわけです。それを実感するたび、少し悲しくなります。でも、そうやって死を少しずつ受け止め、死を飼い慣らしていくことは悪くありません。死があまり怖くなくなりました。「失うことを恐れて生きるよりも、さっさと失ってしまったほうが楽だ」ということかもしれません。いったん失ってしまえば、もう失うことをビクビクしながら生きずにすむ。この解放感。」(記事引用)

    隈研吾さんにとって、右手の大怪我が重要な「通過儀礼」となったことがわかる。特に男性は、中年期に肉体が衰えていき、それまでの自分のパフォーマンスを保てなくなることに無意識的な危機感をもちやすい。もう上昇できないのに上昇しつづけようとし、負けつつあるのに勝ち続けようとするエディプスコンプレックスの罠につかまり、「中年の危機」に陥るケースが少なくない。この時期に大怪我や大病をした人は、否応なく戦線を離脱せざるをえない。それは、有限の生命の摂理を受け入れ、新しい生き方に方向転換するよいきっかけとなる。隈さんが、その後、「負ける建築」に転じる話は、建築に限らない示唆に富む物語だ。


  • PIVOT エグゼクティブ・エディター

    【第10話】利き手である右手を大ケガして思うように動かなくなった建築家・隈研吾氏。「『ちょっとだけ死ねたな』という安堵感があった」という心境について聞きました。


  • 株式会社ユーエヌ電工舎 代表取締役

    建設職人である私は体の一部でも機能が無くなることを極端に恐れていました。
    危険な職場ですので、いつ労働災害にあうともわかりません。
    身体に機能のなにかが無くなる=仕事ができなくなる。
    自分には最高に向いてると思ってた一人で仕事することをやめて、会社を設立した理由の一つでもあります。


アプリをダウンロード

NewsPicks について

SNSアカウント


関連サービス


法人・団体向けサービス


その他


© Uzabase, Inc

マイニュースに代わり
フォローを今後利用しますか