銀行名から「東京」消える 統合20年余「三菱UFJ」に
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実質が三菱銀行なのだから、シンプルに「三菱銀行」にしてしまうといいのに。もっとも、「UFJ」には「三和」と入っていないので、支配層にとって、それほど邪魔ではない。「東京(銀行)」には、最早存在感が無く、名前を長くしているだけだ、ということだろう。順調な植民地経営が進行している。
かつて三和銀行の偉い人から聞いた話を紹介する。UFJが三菱と合併する前に、三和の幹部何人かが集まって話した時のことだ。誰かが「三菱と一緒になって、俺たち、どうなるんだろう?」と言った。しばし、沈黙があって、別の誰かが「簡単じゃないか。俺たちが東海にしたようにされるんだよ」と答えた。場に居た一同は、皆深く頷いたという。銀行の合併は厳しい。1996年に外為専門銀行であった東京銀行を合併して国際化を先行させた三菱銀行は、海外で圧倒的に名前が通っていたBank of Tokyoを先にしてBank of Tokyo Mitsubishi を英文呼称にし、国内は圧倒的に名前が通っている三菱を先にして三菱東京として名称のバランスを取り、更にUFJ(三和・東海)を取りこんで巨大な銀行に発展した。
1999年に、当時「負け組」と見られつつあった第一勧業・富士・日本興業の有力銀行が一緒になって、思いきって瑞々しい再生のイメージの「みずほ」という名前を打ちだした。
業績好調であったが故に孤高を保って銀行再編が出遅れ気味になった住友銀行が、メガバンクの規模になる最後のチャンスとばかりに2001年にさくら銀行と合併して「さくら(太陽神戸三井)」が三井に戻り、住友の名が通っている海外はSUMITOMO-MITSUIと住友が先、国内では有力な法人が多く属すという理由で三井が先、全体の略称は英文の順番のSMBCとして住友を先にした。
こうして見ると、日本の銀行の名称には、経済のグローバル化と金融ビッグバンの激動の中で互いの思惑がぶつかりながらも決定的な敗者を出さずに再編を進めた護送船団の名残が未だに反映されているように感じます。あの時代からほぼ20年・・・ 各銀行とも合併後に入行した世代が中堅を超え、漸く旧行の名前に拘らずに済む条件が整ったといったところでしょうか。高が名称、されど名称。我が国の各メガバンクが真のメガバンクとなって世界の経済をリードする時代の幕開けであることを念じます。【三人称】
誰かと三人称で銀行についてお話しするときには:
・BTMUについては、昔から「三菱」と言っていました
・SMBCについては、「住友」か「SMBC」
・みずほは「みずほ」
【二人称】
なお、二人称で銀行の方と直接お話しする際には、ときに:
・BTMUの中で、三菱銀行ご出身の方には「三菱」
・SMBCの中で、住友銀行ご出身の方には「住友」
・みずほの中で、日本興業銀行ご出身の方には「興銀(又はIBJ)」
・上記以外は概ね現在の銀行のお名前でお話しします