なぜ大人になると「生きる意味」を問わなくなるのか
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どうして生きるのかを突き詰めると、救いがありません。自分の死をどう納得するかです。
本気で考えると正気ではいられません。
子供を持ち自分の子孫が続いていく、後世に残る良い仕事をする、などの慰めはありますが、残念ながら人類は永遠ではありません。
人類が永遠でなくても、せめて永遠の宇宙があれば、他の生物、知的生命体の存在でなんとなく慰められる気がしますが、宇宙も永遠ではない訳です。
人類なんてのは、宇宙にたまたまできたあぶくのような存在ではないのかな、と。
しかし、宇宙の過去や未来をつかもうとする物理学者たちの俗っぽさ(研究者としての名声を得ようとする努力)を本で読み、少し救われた気がしました。
このような高潔な仕事をする人たちでも個人的な欲にしばられている、ということは、皮肉でもなんでもなく、うれしいことです。
所詮、自分は一個の生き物なので、自分の快、不快を超えて物事を考える必要はなく、その能力もない、と考えています。
このようなことを考えていたのは、たしか、三十歳台前半です。
自意識を持つ知的生命体が、地球上に大量に生まれ死んでいるということは、この上なく残酷なことです。