【宮台真司×東浩紀】ソーシャルが私たちから奪ったもの
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注目のコメント
少々議論が先鋭すぎてついて行けない点もあります(職業柄、先鋭化しないと仕方ないのでしょうね)が、ウェブ上のコミュニケーションのスタイルについては、長期保存型から短期消費型、オープンからクローズド、言語コミュニケーションから非言語コミュニケーションに、年月をかけて移行しているように感じます。このことの是非に対する判断は保留しますが、これが「主体の抹消」だと言われれば、まぁそうなのかもしれません。
東氏の「愛は真実を超える」という指摘は本当にその通りですね。宮台氏がSEALDs奥田氏に「政策を言うな」とアドバイスしたという話にも通じる話ですが、政治家の方にとって必須の条件の一つは、如何に具体性がなく解像度の粗い議論をスマートなインターフェイスでこなせるかどうかであると私は思います。乱暴に言えば、「村上春樹的なコミュニケーション」でしょうか。中身は空洞であり、具体的な論理よりも感情や雰囲気で押し切るということです(この点で大前研一さんは真逆だったのでしょう)。組織を維持するにあたり、仮想敵を掲げるというのは非常に初歩的な手法ですが、これもまた愛の裏返しなのでしょうね。
世の中で最も続いている組織が宗教であることを考えると、愛に対してどう抗するかというのは、かなり重い課題なのでしょう。おそらくその解は、宗教であれ政治であれ、愛を圧倒するような現世利益にあると私は思います。日本屈指の知性2人による対談。1万字ほどありますが、思考を刺激する言葉が散りばめられています。
今の時代を語るためには、ウェブ、ソーシャルを抜きにはできず、今の時代を捉えるためには、個別論を越えた、思想的な視座が必要です。今後は、ビジネスパーソンも、哲学や思想的な素養が不可欠になるはずです。LINEスタンプが人の主体性を奪った。ソーシャルの結果として、大衆迎合主義が進んでいる、と話されています。
私はむしろ、ソーシャルが奪ったのはエリート主義であったように思います。
知識人とメディアが作り上げた言説が唯一のものではなくなって力を失い、相対的に大衆が力をもった。だからといって、エリート主義には戻れないし、ソーシャルや資本主義のことを批判しても意味がないように思います。
その意味では、辺境を作り続けようとする東浩紀さんのスタンスに共感します。