【大西健丞】今なら話せる「鈴木宗男事件」の真相
コメント
注目のコメント
これが歴史として語られる時代になったのか。まあ両当事者が今もフル回転しているけど。この事件はね・・・日本社会の非常に深いところに影響を与えた事件だと思うんだよね。
どっちが悪かったか、という話は、誰にも判断しようがないところだが、「ムネオ的」なものに対峙する、新たな市民社会の担い手を(それがどの程度実態を正確に反映しているかどうかは別にして)、大西さんが具現化した。
同時期に、私自身も、ムネオに比べればずっと規模は小さいが、きわめて似た体験をした。中東・イスラーム研究者の生殺与奪の権を持つ人間により、居並ぶ主要な教授たちと大学院生たちの前で、「イスラーム復興」なる概念を基礎にした、西洋近代を超克する「イスラーム」を美化して礼賛することによって成り立つ「イスラーム地域研究」なる枠組みで予算をとってポストをとっていかなければならない業界にとって、都合の悪い私の論文を振り回して叩きつけ、机をバンバン叩いて恫喝されるという体験である(その後、現在まで、イスラーム研究の一切の予算配分から私は排除された)。
歴然とした不当な言動を目の前にしながら、皮相な笑いを口元に貼り付けて一斉に黙りこくる業界の有力教授たち、そしてその瞬間から文字どおり私と口を聞くことを止めた大学院生たちの顔は、今でもふと思い出すことがある。そこに私は、日本社会における「ムネオ的」なものの巨大な壁を感じるしかなかったが、そこでふと頭によぎるのは、はるかに大きな権力を持ったムネオの恫喝を前に、なぜか引かない、そして負けない大西さんの姿だった。そこに一縷の望みを見出し、将来の方向性を見るしかなかった。
もちろん、圧倒的多数は「ムネオ的」なものに屈する道を選んだのだが、大西さんが別の道もあるということを行動と実績で示し続けて来たことは、単にNGOによる国際援助・平和構築支援という分野に限定されず、日本の文化と社会に深いところで影響を与える事件であったと思う。その帰結はまだ出尽くしていない。
想像だが、個人の性格や手法という意味では、大西さんも「ムネオ」と同様に清濁併せ呑むタイプの人なのではないかと思うが、「ムネオ」的なものに対峙する何かを、社会的に担い切ったことは確かである。
少なくとも、この事件の後の大西さんの活躍が、たとえほんの少しだけでも日本を良い方向に向けたということを、私は疑っていない。さすが坂之上さん!良い引き出し方してますね。面白い。
口をあんぐり開けて、社に持ち帰るのが、ごくごく平均的な日本人の感性でしょう。
大西さんの気骨が、どのような環境で育まれたかにとても興味があります。さすが大西さんと坂之上さんのトーク面白いですね。笑 前に国連とか有り難がってるのは、第二次世界大戦敗戦国くらいだ、とか話してて、それでジャパンプラットフォームとかを立ち上げたり、バイタリティすげーなーと。都市政策分野でも本当は国際連携の話を真剣に考えないといけないんだよなぁと思わされる。