「いろんなイスラムの在り方があっていい」過激派テロに揺れるフランス、穏健な移民たちの思い
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注目のコメント
かなり多くの誤解が見られる記事ですが、とりあえず、このくだりについて、
>「サラフィー主義は・・・風紀に厳しく、異教徒を処刑す>ることや女性の自由を奪うことを良しとしている。武装闘>争とむすびつき、今、世界を脅かしているイスラム過激派>組織の思想的土壌を成している」
他の宗教でもそうであるように、イスラームでも、人を殺すことは基本的には大きな罪です。例外となるのは、他の社会と同じように、一つは戦争における殺人、もう一つは犯罪者に対する処刑です。イスラームが他と違うのは、何を戦争と見なすか、何を罪と見なすか、です。例えば、窃盗も罪ですが、飲酒や結婚していないのに性交渉をもつこと、信仰を捨てることも罪と見なされます。この点で、サラフィー主義者も他のムスリムが従う教義も違いはありません。忠実に実行しているかどうかは人によりますが。
サラフィー主義の思想でも、異教徒だからといって無条件に殺していいということはありません。キリスト教徒やユダヤ教徒といった「啓典の民」やイスラームについて聞いたことのない「中間時の民」については、異教徒だからといって即座に殺したり奴隷にしてもいいということはないので、一定の制限はあります。この点でも、サラフィー主義と他の伝統的な教義に違いはありません。
サラフィー主義が他の伝統的な教義とやや異なるのは、シーア派とスーフィー教団への対処で、サラフィー主義者(の一部)は、異教徒よりもシーア派をはるかに問題視しており、最大の敵として殲滅することを最優先します。
記事の書き方だとサラフィー主義者=武装勢力という印象を与えかねませんが、サラフィー主義者のほとんど、多分95%以上はひたすら礼拝と宗教書を読むことに専念して、世俗にかかわるのを嫌う人たちです。政治活動などしません。
そういう人たちですから、フランス政府が「イマーム憲章」だかで率先して教義を操作しようとしても、鼻にもかけないでしょう。肝心のフランス政府がコントロールしたい人たちには何の影響もないでしょう。この記事でも塩崎さんのコメントが光る。イスラームの教えという視点から、当事者の目線で解説できる人はそうそういない。非イスラームの世界で言われていることが誤解に満ちているか分かる。この記事のように、イスラームの視点に「立っているかのように見える記事」ですら、誤りがあることを気付かせてくれるコメント。巷の「有識者」として解説している人の誤りがいかに多いことか。
信仰についてどうこう言える立場ではないけれど、こういった自分の宗教と他宗教への関わり方は大切なのだと思う。教義に沿った食事を守ることはもちろん必要なことだと思う。けれど、胃宗教徒への理解を絶ってしまうのは教義の意図するところではない気がする。
お互いを理解し、平和に共存するためにテロを憎むのではなく、コーランを手にとって相手のことを学ぶことから始めようとする人たちがいることに感銘を受けた。
個人の視点から社会、国の視点へと視野の広さを自然に変えていく表現力も勉強になりました。