逃げる女性は美しい
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>ここで言う“何か”を「子育て」に置き換えてみてほしい。なんとなく、わかると思う。
ここから完全に論理崩壊してる(前後の繋がりがわからん)
内容も相当だけど、個人的に自分に酔ってるような文章も嫌い。
注目のコメント
この記事取り下げられてたんだ。
しつこいかもしれないけれど、この取り下げの理由がダメダメ。何が問題なのか、ちゃんと明らかにしないと。これじゃ騒ぎになったから下げましたとしか読めない。それじゃ言論機関として失格ですよ。
今回問われたのは記事の内容以上にこういう記事をのせる日経ビジネスの編集体制なんだけど、そこがわかってないのかな。
日経ビジネスには期待しているので残念。もはや放送事故レベルの文章。に真面目に書くのも何ですが&ジェンダー系の話は、その道のプロのパワフル女子の皆さんが色々書いておられるんで、もうちょい人生全般のところで思ったのが、「人間の人生において『これだけはやりきった!』と言えるほど、やり切れることは、1つか2つ」というお説は、いったいどこからどうしてでてきて、どうして正当化できるんでしょう?ってこと。
そもそも、(巡の環の阿部氏の言葉を引くまでもなく)長い歴史をたどれば多くの人が「くらし(自給経済)」「かせぎ(貨幣経済)」「しごと(贈与経済)」という3つのバランスの中で自分自身だけでなく、その属するコミュニティを豊かにすることにも貢献しながら、相互に支え合い生きてきた。どちらか言えば(私の理解が正しいなら)、昔の人は、そして地域に暮らす人の多くは今も、全部やってきたわけです。
それが、たまさか資本主義システムが過度に繁栄し、併行して都市と地域が分断されて、自分の食べるものを自分で作らない者が現れ、或いは地域社会と関わりを持たずに生きていかれる環境ができたことで、「かせぎ」しか持たない者が増え、そこにおまけのようにして「自己実現」だの「やりがい」だのだのといった価値観がついてきたに過ぎない。
もちろんそれ自体は間違ったことではなく、マズローのオジサンも言うように非常に良いことなのだけれど、ただ結果として「自分のことしか考えない」生き方という弊害を生じているから、絆だなんだと今さら鬱陶しい言葉で色々見直さなければならなくなっている。そこをもうちょっと、私たちは考えたほうがいいんじゃないのかな、と。
多くの方が、厨二か?このオッサン!?と書いておられるように、「人生においてやり切れることが一つや二つ」と胸はって言い切る言葉のハシハシに透けて見える「ボクちゃんは自分がやりたいことしかやりませんよ」的な姿勢。それを「第一目的だけに専念する(だから家事や子育てを含む自給経済や贈与経済に相当する部分はやらないもんね)」と言い切ってみせるあたり。ましてや、第一目的の部分に、文章を読む限り何の社会性も利他心も感じられない。
自分、自分、自分。そういう人に半端に同情されたくない。このあたりが、ありとあらゆるレイヤーの女子たちが同じ温度でぶちぎれてる根っこの部分なんじゃないのかなぁ、など思ったりするわけです。散文ですが。