みんな「理想病」の患者。自己中心的な承認欲求を満たしたいだけのオジさん・愛人・オタク、そして私たち - messy
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注目のコメント
「承認」と「全肯定」は愛人や不倫の場でよく生じていることです。
本質的には恋愛関係に陥る時には少なからず起きていることでもあります。
本当の承認は、自分自身で承認できるようにしてあげることです。
自分で承認できない人が、誰かから承認されることは、その承認がないと辛くなります。
その誰かがいてくれないと困る、依存を生むわけです。
本当の全肯定は、過去と現状の全肯定ではなく、未来も含めて全肯定してあげることです。
過去と現状だけを全肯定することは、このままでいいよ、大丈夫だよ、頑張らなくていいよ、というメッセージを伝えることになるわけです。
自分を肯定できていない人が、そのままでいいよ、全部含めていいよ、のような全肯定をされると、たまらないわけです。
こんな人はいないとなり、これも依存を生みます。
そして、「承認」と「全肯定」を得意とする人は、自分自身を承認できていない、自分を肯定できていないからこそ、自分を承認したい、肯定したい、だからこそ、相手を承認、肯定するわけです。
承認・肯定できていない人は、自分自身でそれをものすごく求めているので、敏感です。
相手が求めてることにすぐ気づき、そこに相手の求めている承認・肯定をあげたくなってしまいます。
それは、一時的には確かに良いのです、けれどもずっと承認・肯定をし続けていると、依存に陥るわけです。
受け手だけでなく、承認・肯定している方も、相手が喜ぶ姿、自分を必要としてくれることはものすごい刺激で、自分で承認・肯定できないのに、できているような錯覚に陥るわけです。
そして、受け手は、それに気づいて、その人を喜ばせているのは自分だ、だから、その人のために頑張ろうとして、自分で承認できなくなったり、
その人が肯定してくれているから、これ以上頑張ってはいけない、伸びないようにしよう、弱くいよう、それが相手を喜ばすことだ、となるわけです。
「承認」と「全肯定」は、使い方を間違えると相手も自分も弱くします。
必要なこともあります。
だからこそ、自分自身で承認できるように、肯定できるようにしてあげること、自分がそうなること
そして、自分だけでも承認・肯定できるけれど、相手がいるともっとできる、そんな関係が健康的なのではないでしょうか。